つぶやき会議室

つぶやきなのに、会議室です。会議室ですが、つぶやきます。

2000/02/08(22:14) from 164.124.70.168
作成者 : きんちょ (ak@chuwol.com) アクセス回数 : 172 , 行数 : 131
英語の「第二公用語化」に反対する【転載】
 MLに投稿した原稿を修正して、記録のため転載します。
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 1月19日に「21世紀・・・なんとかかんとか」
という小渕首相の諮問機関が、英語の第二公用語化を
視野にいれた「教育改革」を提言したとのことです。

それを うけて、小渕首相の施政方針演説では、

  「教育立国」を目指し、二十一世紀を担う人々は
  すべて、文化と伝統の礎である美しい日本語を身に
  つけると同時に、国際共通語である英語で意志疎通が
  でき、インターネットを通じて国際社会の中に自在に
  入っていけるようにすることであります。

と あったということです。

 報道によれば、首相懇談会の報告書は、

  英語教育の拡充 → 
  英語が大学や一般社会で実用語として活用される →
  第二公用語として制定

という みちのりをかんがえているのでしょう。

 この ほかに、英語以外の言語の教育の拡大も ひかえて
いる、と いうのも、この報告書の特徴になっています。

 で、これは実現性が どれだけ あるかは わかりませんが、
日本人改造計画みたいな もんだと おもいます。ここでは、
そのうち「第二公用語」という部分について、意見をのべます。

 実のところ、わたしは この日本人改造計画には、あまり
興味が ありません。あえていえば、一番めの英語教育の
拡充ぐらいは どんどん やればいい(でも強制は されたく
ない)。二番めは、自分の生活圏が そんなに なるのは、
ちょっと いやだけど、そういうコミュニティーが ふえるのは、
それ自体、まあ、いいことかなと理解する。で、三番めは、
その必要性が とんと理解できない、と いうふうに なります。 

 なぜ、理解できないかというと、・・・

 まず「実用語として活用される」段階の言語に なって
から、「公用語」になるのだという順序は至極当然です
が、それは、「日本人」全体の ある「外国語」の能力が
実用語として活用される段階になるから「公用語」に
なると いうこととは ちがうと おもうからです。
 「日本人」全体が改造されて英語じょうずに なろうと、
英語べたの ままで いようと、この問題とは本来 関係
ないと いうのが わたしの「公用語」に対する かんがえ
なのです。

 日本語母語話者は、日本語が得意なのだから、その
ひとたちが、どんなに英語(をはじめ諸言語)が よく
できるようになっても、日本語の ほかに公用語を
つくる必要は、ありません。(英語を勉強しすぎて
日本語を わすれてしまうと いうのであれば、はなしは
別ですが。)日本語母語話者たちではなくて、標準
日本語を母語としない外国人居住者やマイノリティー
日本人たちの あいだで「実用語として活用される」段階に
達している言語が(ときには そのまえの段階でも、
実用語と なれるように保護する意味あいで さきに指定
することが あっても いいと おもいますが)、地域地域で
「公用語」に なれば いいのです。

 (だから、米軍基地でなら英語が「公用語」に なるのは、
  当然。もっとも、日本国内と いえるのかどうか、あやし
  いところがあるが。それ以外で、英語が まっさきに
  「公用語」に ならなければならない地域は、ちょっと お
  もいつかない。)

 そのために日本語母語話者の日本人が すべきことは、
「外国語」の学習なんかじゃない。それは、ほんの すこし、
あるいは興味のある いくらかの ひとたちがすれば いい
のであって、こどもの英語教育、その他の言語の教育とも
別問題です。必要なのは、言語的少数者たちの まわりに、
それをサポートする態勢を公費で つくりだすことなんで
あって、ただ、少数言語で活動する権利をみとめ、少数
言語で公共サービスが実現するような環境づくりを
たすけることなのでは ないかと おもうのです。

 外国語学習を熱心にやっていても、閉鎖的な くにと
いうのは、ありえます。わたしが いる韓国は、おそらく
日本以上に外国語を勉強する ひとが おおいけれども、
その目的は「国際化時代に いきのこるため」とか「韓国が
世界で活躍する くにに なるため」などと いうことを
臆面もなく いうひとが めだちます。そこには、韓国
じたいが多民族国家になるとか、多言語共生社会をつくる
とか いう発想は、ほとんど ないといって いいでしょう。
実は、韓国だって、外国人労働者をかかえているのですが。
よのなかで いわれていることと反対かもしれませんが、この
視点からみたら日本も また にたりよったりで、言語学習の
動機が外部拡張型で あって、内部変革型には なっていない
のです。

 言語的少数者たちのために わたしたちが するべきことは、
外国語学習では ないと おもいます。それよりも、言語的
少数者たちが じぶんたちの ことばで くらせる空間をつくる
ことをこのましく うけいれ、それをかたわらで たすけたり、
みまもったりし、その ひとたちの コミュニティーに でかけ
たら、どんなに つたなくても いいから、その ひとたちの
ことばを つかい、その ひとたちが 日本語の
コミュニティーに でてきて はなしかけてきたときには
やさしく日本語で対応することのほうが よっぽど重要です。
そんな ひらけた社会が できれば、日本語じたいが きっと
ひらけた ことばに なると 信じています。

 ま、そんなわけで、わたしは、首相懇談会の報告書の
なかの「公用語」という ことばの つかいかたは、ヘンだ
と おもいます。ヘンな つかいかたのまま「公用語」に
制定されたら こまるので、英語の第二公用語化には反対
です。そんなこと、しなくても、英語教育の拡充は できる
でしょうし。
 むしろ、そんなところに「公用語」という ことば
をつかったり、実際に公用語に指定されたり すること
で、言語的少数者に関する問題が英語(をはじめとす
る「外国語」)の学習の問題に すりかわることや、
いま・ここにいるマイノリティーに関するの問題が
マジョリティーの教育の問題に すりかわる危険の
ほうが、わたしには、重大な こと、警戒すべきことに、
おもわれます。英語が「公用語」と なること自体が
マジョリティーの日本人にもたらす問題点(*)も さること
ながら。

(*)たとえば、言語主権をうしない、英語圏の くにとの
  交渉は すべて英語でしか おこなわれなくなったり、
  通訳なしでも はなせることを当然視されたりする
  危険がある。また、「公用語」に指定されれば、はな
  せなければならないという圧力が つよまり、英語の
  必要性と関係ないところで英語能力による差別が激化
  するであろう。

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