つぶやき会議室

つぶやきなのに、会議室です。会議室ですが、つぶやきます。

1999/09/25(18:42) from 164.124.70.169
作成者 : きんちょ (ak@chuwol.com) アクセス回数 : 349 , 行数 : 104
【寄稿・翻訳】権禧老が私たちに問いかけること
 過去にも「いかのあし」に ご投稿いただいている
竹国 友康さんから、韓国の日刊紙「文化日報」に 
のった姜尚中氏の寄稿の翻訳を メールでおくって
いただきました。

 ここに紹介させていただきます。

 姜尚中(カン・サンチュン)氏は、東京大学教授で、
在日韓国人です。「文化日報」のコラムを担当してい
て定期的に執筆されているそうです。

もとの記事は、1999年9月26日現在、「文化日報」のサイトに あります。
ハングルフォントが必要です。



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権禧老が私たちに問いかけること 姜尚中
(韓国「文化日報」99年9月14日)

 去る7日、マスコミの前に姿を現したクォン・ヒロ(キム・ヒロ)は、
やはり、31年間の服役のため、老衰していた。歳をとったもの
だ・・・それが私の最初の印象だった。かつて、ライフルとダイナ
マイトで武装したまま篭城した当時のトレードマークのように、今
度も彼は自分が愛用しているハンチングをかぶったまま、ふた
たび世の中に出てきた。狩りというのは(注。「ハンチング」は韓
国語でも「狩りの帽子」と書く)、もしかすると「金の戦争」(映画)
の象徴ではなかったか。70歳に達した老人の、依然として輝き
を失わない鋭い眼差しは、彼がなぜ、ハンチングをかぶったまま
日本を離れたのか、という彼の内心を語っているかのようだった。


悲しみの在日同胞の自画像

 しかし、クォン老人の手には、今度は、ライフルもダイナマイトも
なかった。そのかわりに、太極旗で包まれた、母親の遺骨だけ
があった。それだけが、すぐる30余年の無情な歳月を物語って
いるものだ。日本のマスコミが、当時、列島を震撼させた「不逞
鮮人」(ママ)の仮釈放と事実上の国外追放ドラマに焦点をあて
たのは、当然のことだったかもしれない。そのうえ、度を超した
過剰報道ではあったにせよ、韓国人たちがクォン・ヒロという
ひとりの人間の不遇な在日韓国人の闘争をとおし、自分たちの
歴史を振り返り、彼から「反日」という不屈の意志を読もうと
することも理解できないところではない。ただ、心に引っかかる
ことは、クォン氏もその一員であった、平凡な在日韓国人の声
がほとんど聞こえてこないという点である。

 圧倒的多数の在日韓国人は、民団と朝総連、あるいは、いろ
いろな立場の違いに関係なく、そのことに沈黙したまま過去の
亡霊がだまって日本を離れていくのを眺めていたのかもしれない。
クォン氏はまるで在日韓国人の記憶のなかにとどまらねばならない
悲惨な自画像のシンボルであり、同時に、否定したい自分たちの
分身ではなかっただろうか。

 かえりみると、あの68年、クォン氏が旅館の泊まり客を
人質に篭城し、日本のマスコミに民族差別を叫んだ自滅的な行動に
でたとき、世界は戦後最大の激動におそわれていた。ベトナム戦争は
次第に激化し、反戦と反体制の、いわゆる68年革命が世界的に
拡散した。米国では黒人解放運動の指導者であるキング牧師が暗殺
された、血なまぐさい季節が続いていた。そして、旧ソ連のチェコ侵攻と
中ソ対立が社会主義の夢をこわしていた。韓半島は、冷戦の熾烈さの
なかで凍りついており、韓日条約締結から数年が過ぎたものの、
相変わらず、(韓日)両国のあいだでは、心がまったく通わない厳冬の
時代が続いていた。そして、韓国は貧しく、始まった独裁時代の苛酷な
支配を経験しなければならなかった。

 しかし、過去の植民地支配の宗主国であった日本は、空前の
高度成長と繁栄を謳歌し、東京オリンピックの余勢を駆って、
経済大国としての道を邁進しようとしていた。事件は、このような
日本の、ある平凡な温泉旅館を舞台として起きた。当時、在日
韓国人は、はたして、どのような存在だったのか。ひとことで
言うなら、「棄民」扱いを受け、日本社会から「潜在的な犯罪者」と
して扱われる、厄介者以外の何者でもなかった。このような冷遇に
がまんできず、明日の希望を求めて、北朝鮮へ帰国した在日韓国人と、
日本社会にとどまり、そのなかで呻吟できず自滅的な暴挙に出ざるを
えなかったクォン氏は、どのような意味で、共同の運命を生きなければ
ならなかったことか。日本の外に出ていくか、それとも日本のなかに
とどまるか。その違いはあるとしても、そこには、戦後の冷戦下で、
日本・韓国・北朝鮮の三国のあいだに挟まれたまま、呻吟しないでは
いられなかった、在日韓国人の歴史が刻まれている。


韓日の反目を終わらせる契機として

 ここで、忘れてはならないことは、韓国の苛酷な独裁時代に祖国
に帰国したのち、政治犯として残酷な歳月をすごさざるをえなかっ
た在日同胞中の志ある人士たちの歴史だ。かれらは、クォン老人
と違い、環境の偶然の違いのため、教育を受ける機会をえて、犯罪
という形態で民族差別を訴えることを選ばなかった。しかし、かれらと
クォン老人の違いは、紙一重の違いでしかない。そして、私とクォン
氏を分けた運命の違いも偶然のものにすぎないと思う。

 このように見るなら、クォン氏は単純な犯罪者ではないが、また
英雄でもない。彼は、三国のよじれた戦後史の軋轢のなかで、もが
いた在日韓国人の自画像の一部でしかない。クォン老人をとおして、
私たちが考えねばならないことは、どのようにすれば、彼と同じよ
うな悲劇をつくりだした、三国の対立と相克の歴史に終止符を打つ
ことができるかという点だ。私たちのなかのクォン・ヒロは、いまも、
このような問いを投げかけていると思う。
 
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