つぶやき会議室

つぶやきなのに、会議室です。会議室ですが、つぶやきます。

1999/08/08(20:26) from 164.124.70.132
作成者 : きんちょ (ak@chuwol.com) アクセス回数 : 140 , 行数 : 155
音よみと訓よみの学習
 日本語教育関係のメーリングリストに投稿した記事を
修正して再掲します。

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 台湾のかたから、日本語の漢字熟語を、どのようなときに
音よみし、どのようなときに訓よみするのかという質問を
うけました。

 以下は、その おこたえです。


 漢字の 音よみだけから 構成されている語を、日本語の
研究をするひとたちは「漢語」と よんでいます。(「中国語」
という 意味では ありません。)

 「漢語」の おおくは もともと 中国語であったものが、
漢字と ともに 日本語に とりいれられた ものでしょう。
ですから、いまでも おなじ 漢字で かかれる 語が
中国語として つかわれていて、発音にも それなりの
対応関係があり、意味も にていると いう ケースが
おおく みられると おもいます。
 「漢語」には、そのほか、日本で つくられたものが
あります。中国語の造語法を まねして、日本で つくられた
ことばです。なかには、中国語の造語法を無視した、
おかしなものも いくらか あるかもしれませんが。
 後者のケースの なかには、明治維新以来、西洋の
学問で つかわれる用語を 日本語に翻訳するために
つくられたものも おおく あります。「経済」という 
ことばは、もともと中国の古典にある 「経世済民」から
つくられましたが、いま つかわれるような 意味の
ことばとしては、日本で つくられたと いえるでしょうし、
「哲学」なんかも そうだと きいています。そして、
そういう ものの おおくが、日本語から 逆に 
中国語に とりいれられたのか、あるいは、日本人が 
したのを参考にして中国でも造語がされたのか、
結果として、このような ことばの おおくも、中国語と
日本語で漢字表記が共通で意味が にた語と なった
のです。(この傾向は、韓朝鮮語では より顕著です。)

 これに対して、訓よみの 熟語は、「和語」(訓よみ
だけから構成される ばあい)か「混成語」(訓よみと
音よみから 構成される はあい)と いうことに 
なります。「和語」の ほとんどは もともと日本語に
あったことばに、あとから漢字を あてはめたと
いうことができます。
 (”ほとんど”というのは、なかには漢字の知識が媒介に
  なって あたらしく つくられた和語も あると いう
  意味です。たとえば、「あたりまえ」は、「当然」という
  「漢語」が さきだってあり、それが「当前」と誤記された
  ことから生じた「和語」です。)
「混成語」も、訓よみが まざっているということからも
わかるように、中国語としては通用しない漢字の
配列になるものが ほとんどでしょう。
  (ちなみに、韓朝鮮語では、植民地時代に強制された
  日本語の影響をつよくうけたため、いまでも このような、
  訓よみ漢字熟語までもが 韓朝鮮語の「漢字語」として、
  韓朝鮮語における「音よみ」をされて 通用しており、
  しかも、漢字が原則廃止されたために、それが 
  そのような構成をされた語であること自体も
  意識されにくくなっているという状況があります。)

 以上のような 事情を かんがえると、中国語が
できるかたの ばあい、つぎのような戦略をたてて よんで
みることが 有効ではないかと おもいます。

1.しらない日本語の漢字熟語があったら、それが
 中国語としても存在する漢字の配列かどうか
 かんがえる。

2.中国語としても存在するときは、意味に ちがいが
 ないかチェックし、にた意味のときには、音よみ
 すればいいと かんがえてみる。
       「会社」「方法」「運転」など

3.中国語として存在しなかったり、中国語の造語法に
 反する配列のときは、訓よみしてみる。
       「受付」「手続」「入口」など

4.日本語の中で、音よみしかないか、めったに
 訓よみを つかわない漢字が いくつかあるので、
 3.と おなじケースでも、そのような漢字が でてきたら、
 そこだけは音よみしてみる。
       「台所」の「台」など

5.日本語の中で、音よみ熟語が極端に すくなく、
 ほとんど訓よみしかしない漢字が いくつかあるので、
 2.と おなじケースでも、それが でてきたら、そこだけは
 訓よみしてみる。
       「本箱」の「箱」など

6.以上の原則に あてはまらないものが でてきたら、
 それには 特別に注意をして おぼえるようにする。

    「現場」が「ゲンバ」か「ゲンジョウ」かなどは、
    どのような一般則からも きめられない問題


 結局、例外は たくさんあります。


 この問題について、ほかのかたから つぎのような指摘が
ありました。

 ふつう日本の こどもたちは、はじめての漢字に遭遇すると、

      《所》→「ところ」、「ショ」 

と いうように、その漢字の よみを しらべ、

        台所     便所  

などに その よみを あてはめて、熟語の よみかたをしると
いうことが あるでしょう。そういう方式で、日本語教育の ば
でも、漢字ごとに 音・訓を 同時に おしえようとする教師も
います。

 しかし、この方法では、重大な前提が わすれられていると 
おもいます。日本語母語話者たちは、もともと「だいどころ」
「べんじょ」という ことばを しっていて、その表記だけを 
あとから ならっていると いうことです。ですから、この 
方式で勉強したとき、「ダイショ」とか「ベンドコロ」では 
意味が通じないことが すぐ わかるし、「だいどころ」
「べんじょ」で ただしいよみかただと確信がもてるのです。

 しかし、母語話者でなければ、このようには いきません。

 もちろん、日本語母語話者にとっても、むずかしい ことばの
ばあいには、その ことば自体を しるまえに、その ことばの
漢字表記を さきにみて、その よみかたを さきに ならい、
意味が あとから わかるという ような ことが おこる ことが
あります。そして、そのような ばあいには、母語話者で あっても、
非母語話者の学習者と おなじような 困難を 感じているのが 
事実でしょう。

 わたしは、かねがね、「日本語における漢字のよみは、
はなしことばとしての日本語じたいの習得が さきだたなければ
効果的には習得されない」と 主張しています。その理由が
以上のことです。まず、はなしことばとしての日本語自体に
なれることが、漢字学習に さきだって 必要なことなのでは
ないでしょうか。


 そして、わたし自身は、いまの日本語の表記法は、けっして
合理的でもないし、よみやすくも かきやすくもないと おもって
います。それを犠牲にしてまで、漢字を つかいつづけることにも
疑問があります。
 ここで、はてしない「カナモジ論争」を する気は ありませんが、
せめて 漢字と その よみが 一対一に ちかづくように、
わたしは、ふだん、個人的な文章を かくときには、いま 
かいているように、漢字の使用を 音よみに かぎることを
原則にしています。いまの 日本の大勢では、むしろ、漢字の
使用を拡大しようという うごきのほうが つよいように 
おもいますが、これは わたしの せめてもの抵抗のつもりです。

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