つぶやき会議室

つぶやきなのに、会議室です。会議室ですが、つぶやきます。

1999/08/05(12:10) from 164.124.70.133
作成者 : きんちょ (ak@chuwol.com) アクセス回数 : 138 , 行数 : 163
【序文翻訳】「挺身隊」と「慰安婦」の関係
 したに訳したのは、
 
   『証言集 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 2』

     韓国挺身隊問題対策協議会・韓国挺身隊研究会,1997
                                   発行 図書出版HanUl

の「序文」の一部です。

 従来、日本では「挺身隊」として連行されて「従軍慰安婦」に
された例は「確認できない」と されてきました。一方、韓国では
「挺身隊」といえば、すなわち「慰安婦」のことだという理解が
一般的で、その認識のずれが おおくの場面で問題にされてきて
います。
 この あたらしい証言集では、「挺身隊」として連行されたうえ
「慰安婦」にされたという証言が のっています。その証言については
わたしは事実関係に疑問に感じるところが あるのですが、それは
いったん おいて、まず、そのことについて、証言集を編集した
がわの認識を ここにみることができるので、紹介することにしました。
 
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証言集2 の 「序文」


 証言の意味  (省略)


 全般的調査結果

 1集をだしてから数年の月日に および数十名の被害者たちと接触し
証言採録をしてきた。その なかで まだ 一層の補完作業が必要だと
かんがえられる ばあい、記憶が ぼんやりして どうしても一貫した
証言を えることが むずかしいと判断される ばあいなどを除外して、
最終的に16名の証言を2集に のせることに決定した。

 ■ 慰安婦の出身:さる1集に のせた被害者たちの ばあいと
  おなじように この16名の ひとたちは 最初は勤労挺身隊として
  動員された1名をのぞき ほぼ例外なく きわめて貧困した農村
  出身だった。そのため小学校6年の とき勤労挺身隊に動員された
  2名を除外して ほぼ学校に かようことが できない状態だった。
  1名だけ結婚した経験があったが連行当時には また本家に
  かえっており、そのほかの すべてが未婚の おさない とし
  (12〜18歳)に 連行された。何種類かの例外をみせている
  勤労挺身隊の ばあいは したに より くわしく論議することとする。


 ■ 動員方法:動員方法は だいたい認識されているところと
  おなじく就業詐欺(9名)と暴力(4名)だった。やはり
  出身背景でも ちがいが みえた勤労挺身隊を経由した ふたりの
  ばあい 小学校の担任の先生の勧誘に よって いくようになった。
  暴力は すべて軍人と憲兵、巡査に よって 実行され、就業詐欺は
  民間人(7名)と区長、班長などの官吏によって(2名)
  実行された。


 ■ 連行時期と地域:勤労挺身隊として動員された ばあい(1944年)を
  のぞいて、12名が1936年から1942年に連行されたが、1名が
  より はやく1932年に連行された。1932年に連行された被害者は
  満州の慰安所に いたのだか その後に連行された ばあいと多少
  ことなる点が でてきている。勤労挺身隊として動員された2名が
  ともに日本の慰安所に おり、ほかの ひとたちは中国、南洋群島、
  南アジア、台湾、満州などの地域へ ひきつれていかれた。


 ■ 慰安所の状況:慰安所は主に朝鮮、特に南部地域の女性たちで
  つくられていて、16名は みな「○○子」という 日本式の
  なまえをつけられた。軍隊で管理されていた ばあいが6名になり、
  民間人が している ばあいでも 軍隊で たてものをたててやったり
  衛生監督をするなど 軍隊の体系的管理統制が なされていた。
  大部分が定期的な性病検査も うけていた。かぞえられないほど
  おしよせてくる軍人、管理人と軍人の残虐行為、むごたらしい
  慰安所生活も1集で あつかった ばあいと かわらないが、料金
  受領状況も類似していた。軍人が はらった料金の一定部分を
  うけとったと証言した1名をのぞいて全員が まったく おかねを
  うけとることをできなかったか、多少のチップをもらっただけだった。


 ■ 帰還および その後の生活:中途で病気に かかり おくりかえされた。
  (1名)、日本軍人の たすけで かえったケース(2名)も いたが、
  大部分は戦争が おわって慰安所に のこされ ひとりで あるいは
  米軍収容所を経由して帰還した。大部分の被害者が慰安所でアヘン中毒、
  梅毒、マラリアなどの病気に かかったか、妊娠した ばあい自殺を
  しようとした経験をもっていて、軍人の暴力によってか 爆弾に
  あたり負傷をしていて 帰還後 その精神的・身体的後遺症をもって
  いる。精神病で苦労をした ひとは2名ほどである。こをもうけた
  ケースが5名になるが、そのほかは みな 妊娠が不可能になり、
  大部分は 結婚できず結婚した ばあいでも 生活が うまくいかず結局
  ひとりで すむことになっている。


 慰安婦連行の道具となった勤労挺身隊制度

 1980年代末、この問題が社会の関心をあつめはじめてから挺身隊と
軍慰安婦の概念は おおきな混乱をひきおこした。当時の日本政府と
植民政府の公式資料によれば、女子挺身隊は女子勤労挺身隊と おなじ
用語として使用され、日本の軍需工場に労働のために未婚女性を
動員した制度として軍慰安婦制度とは なんの関連も ないものだった。
しかし この問題のために組織された「韓国挺身隊問題対策協議会」や
「韓国挺身隊研究会」の なまえからも わかるとおり われわれの
認識で挺身隊は まさに日本軍隊に つれさられ性奴隷としての
とりあつかいをうけた女性だった。挺身隊として つれさられることを
さけるために いいかげんに あわてて結婚したとか、どこかの親戚の
いえに かくれていたとか いう はなしを われわれは周囲から たくさん
きいたが、面事務所職員や巡査が連行の先頭に たったということが
常識のように かんがえられていた。従軍慰安婦という語彙は最近
日本で はなされはじめて しるところとなり、それまでは きいたことも
ない ことばであった。1944年の『毎日新報』『京城日報』で「軍
慰安婦募集」という記事を発見したことも最近のことだ。軍慰安婦
政策が極秘裏に すすめられ関係 軍文書からも慰安婦、醜業婦、
従業婦など いろいろな用語が つかわれていたので、事実の うえからは
軍慰安婦が公式の名称では なかったと かんがえられる。挺対協で
1990年に被害者の もうしでを うけつけたとき、工場労働のため
動員された ひとたちと 軍慰安婦として つれさられた ひとたちが
ともに もうしでたことは 挺身隊という なまえで労働と性の搾取が
同時になしとげられたものだという 推測も可能になった。ここでは
ただ 勤労挺身隊と軍慰安婦の女性搾取の形態それ自体を区別するため、
われわれは当時の新聞など文書から発見された「軍慰安婦」という
用語を使用することに暫定合意したが、その ふたつが いったい
実際に画然と区別されて実施された制度なのかどうかに ついては
確信をもっていない。
 このような おりに6年生のとき勤労挺身隊に動員されてから
軍慰安婦に なったという証言をする被害者が登場したことは
われわれをほんとうに 緊張された。事実2集のため われわれが
接触した被害者の なかで 4名の かたが勤労挺身隊として いって
慰安婦に なったと証言したが、結局 ふたりの証言は不十分で
補充することにし、ふたりの証言だけをのせた。その ひとりは
日本に いき簡単な訓練と体操をならった あと、工場には いって
みたこともなく慰安所へ いくようになったが、ほかの ひとりは
工場で はたらいていて 工場が爆撃に あって その後 いきのこった
女性たちが慰安所へ つれていかれたと証言した。われわれは これらの
証言に より細心の注意をはらった。該当の小学校に いき学籍簿を
検討し実際に勤労挺身隊として いったと ある文書資料を確保し、
おなじ学校から ともに挺身隊に いった ひとを調査し状況についての
理解をより豊富にしようと努力した。日本の富山県に勤労挺身隊が
動員された工場が軍と密接な関係をもっていたことは周知の事実で、
われわれは さらに すすんで富山県に軍部隊があったかどうか、爆撃が
あったかどうかを確認するために調査をした。そしてやはり富山県に
軍部隊が あり、爆撃も あったという事実は確認したが、それが
工場地域に あったかどうかは確認できなかった。しかし何回にも
およぶ面接で ずっと おなじ内容の証言が されているので、被害者の
意見を尊重して いったん証言を公開することで われわれは合意をみた。
 挺身隊という なまえを使用して軍慰安婦を動員したことは充分に
推測することができるが、小学校をとおして公式に勤労挺身隊の動員が
軍慰安所に直結していたという証言は当時の拡散された認識を証明する
とても衝撃的なものだ。これから このような状況をしめしている
おおくの証言と関連文書の発掘を期待している。



 1930年代初から はじまった連行(省略)


 強度の たかい 性搾取(省略)


 被害者間の分裂・葛藤(省略)


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