つぶやき会議室

つぶやきなのに、会議室です。会議室ですが、つぶやきます。

1999/07/03(13:43) from 164.124.70.191
作成者 : きんちょ (ak@chuwol.com) アクセス回数 : 149 , 行数 : 209
【翻訳】韓国高校教科書−コメの流出


 このまえ、わたしのいる「学院」の日本
語の学生が、「今日、中学校で、日本が韓
国からコメを もっていっちゃうところ、
ならいました」と いいました。

 そのはなしを あるところで 紹介した
ら、日本人から反響があったので、わたし
は、議論のもとになる資料として、てもと
にあった 韓国の高校の教科書を 翻訳す
ることにしました。

 以下は、日本による植民地支配下でのコ
メの流出についての、韓国の高校教科書の
関連部分を 訳出したものです。

 これは、「高等学校 国史 (下)」と
いう 国定教科書(1996年3月1日発
行)ですが、ねんのため、全体の もくじ
も つけておきます。

 なにかの参考になれば さいわいです。


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第1章 近代社会の胎動        (内容省略)
第2章 近代社会の発展        (内容省略)
第3章 民族の独立運動
 1.  独立意識の成長と3・1運動 (内容省略)
 2.  大韓民国臨時政府と独立戦争 (内容省略)
 3.  経済・社会的抵抗運動
  (1) 民族経済の侵奪
    土地の略奪          【訳出】
    産業の侵奪          (内容省略)
    食料の収奪          【訳出】
    兵站(へいたん)基地化政策  【訳出】
  (2)経済的抵抗運動の展開
    小作争議           【訳出】
    労働争議           (内容省略)
    民族企業の成長        (内容省略)
    物産奨励運動         (内容省略)
  (3) 社会運動の展開      (内容省略)
 4.  民族文化守護運動      (内容省略)
第4章 現代社会の展開        (内容省略)


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    土地の略奪 

 開港以後、わがくには日帝の資本主義の侵略を克服す
るために努力した。しかし日本の通信、交通など施設の
占有、拡大と貨幣金融の浸食など経済的浸透をふせぐこ
とができないまま国権を侵奪された。

 国権被奪後、各種産業は日帝の植民地経済体制に改編
された。そのなかでも 核心的なことは、農業部門で断
行された いわゆる土地調査事業という全国的な土地占
奪であった。国権被奪以前に すでに わがくにでの日
本人の土地所有をみとめる法令を制定したところであっ
た日帝は、つづいて土地調査令を発令し莫大な資金と人
員を動員して全国的な土地調査事業にとりかかった
(1912〜1918)。そして近代的所有権が認定された土地
制度を確立したと宣伝した。

 これにより、わがくにの農民は土地所有に必要な複雑
な書類をそろえ期限つき申告制の煩雑なてつづきをふま
なければ所有権を認定をうけられなくなった。よって、
申告を忌避したり、機会をのがした韓国人の農地や公共
機関に属していた土地は ほとんど朝鮮総督府の所有と
なってしまった。

 土地調査事業によって不法に奪取された土地は全国の
農地の約40%ほどになった。朝鮮総督府はこの土地を
東洋拓殖株式会社などにゆずり、韓国に移住してきた日
本人へ やすいねだんで はらいさげた。

 いわゆる土地調査事業の実施は韓国農民の生活を お
おきく おびやかした。従来 農民は すでに土地の所
有権とともに耕作権を保有していたのだが、土地調査事
業以後 おおくの農民は地主に有利な期限つきの契約に
よる小作農へと しだいに転落してしまった。そうして
生活基盤が弱体化した農民たちは日本人の高利がしに 
なやまされ、生計維持のために火田民となったり、満州、
沿海州、日本などの地へ移住したり しなければならな
かった。

 海外へ移住した わがくにの同胞たちは 悲惨な生活
をおくり、そのなかでも、日本へとわたった一部の同胞
たちは関東大震災[注]で おおきな被害をうけた。

  [写真]間島(現吉林省)へ移住する農民たち

 [注]1923年9月に 関東地方一帯に地震が発生し、
   おおくの人命と財産の被害に人心がみだれるや、
   日本官部は「朝鮮人が暴動をおこし日本人をころ
   している」などの いろいろな流言飛語を流布さ
   せ、在日同胞 6000余名が虐殺される大惨事が
   おこった。

    産業の侵奪 (内容省略)

    食料の収奪

 第1次世界大戦に参戦して資本主義の基盤を急速にか
ためることのできた日帝は、高度成長のために韓国に対
する経済的収奪をより強化した。

 かれらは、工業化推進によって日本内での生産が不足
してきた食料を韓半島から搾取しようという、いわゆる
産米増殖計画をたて、これをわがくにの農村に強要した。
1920年から15年計画で推進された食料増産計画は無理
な計画だったため、計画した増産量を達成できないまま
中断された。

 しかし、日帝の米穀収奪は目標どおり遂行され、この
計画が中断された1933年だけをみても日帝は増産量より
かなり超過した量を収奪していった。そして大多数の 
わがくに農民は飢餓線上にあえぎ、農村をはなれ満州へ
あたらしい生活のよりどころをもとめて流浪のたびへと
でたり、火田民に転落するしかなかった。当時の農民た
ちはコメを収奪されたばかりではなく、増産に投入され
た水利組合費、肥料代金、穀物運搬費なども負担するよ
うにされ二重のくるしみをあじわった。


  [写真]日本へのコメ搬出

  [表] 米穀生産量と日帝の収奪量
           (単位:万石)
 
      年度      生産量  収奪量
     1920   1,270  185
     1922   1,432  340
     1924   1,517  475
     1926   1,497  544
     1928   1,730  742
     1930   1,370  540
     1932   1,590  760
     1933   1,630  870



    兵站(へいたん)基地化政策

 日帝の経済侵奪は1930年代になると あたらしい様相
へと展開した。日帝は産米増殖計画が困難につきあたる
と、工業原料増産政策へと方向を転換し、ワタの栽培と
綿羊の飼育をこころみる、いわゆる南綿北羊政策を樹立
し、これを わがくにの農村に強要した。その後、日帝
は大陸侵略を画策しながら韓半島を かれらの兵站(へ
いたん)基地とみなそうとした。これにともない、発電
所が建設され、軍需工場がたてられるとともに、山河が
開発され、重化学工業が育成された。しかしこれらすべ
ては日帝の戦争遂行のためのものであり、韓半島の経済
を植民地経済体制としてより徹底的に隷属させるための
ものであった。


  (2)経済的抵抗運動の展開

    小作争議

 日帝の土地収奪によって小作農へ転落した わがくに
の 農民たちは、日本人地主に収穫量の50%以上を 
小作料として おさめただけでなく、そのうえに すべ
ての税金と肥料代金まで負担しなければならなかった。

 このような状況のもと、農民たちの小作争議が頻繁に
おきた。特に、日本人地主に対抗しておこった小作争議
は農民たちの生存権闘争であり、さらに すすんでは、
日帝の収奪行為に抵抗し、それを拒否する抗日民族運動
の性格をおびるものであった。

 小作争議は1919年にはじめて発生してから 毎年増加
した。初期の争議が小作権移転や高率小作料に対する闘
争だったのにくらべ、1930年代以後の争議は日帝の収奪
に反対する抗日民族運動の性格をおび、いっそう激烈に
なっていった。

 全国的な農民組織は朝鮮農民総同盟の結成が嚆矢(こ
うし)となった。以後、全国各地に かずおおくの農民
組合が結成されたことで 争議は より組織的に展開さ
れていった。


  [線グラフ] 年度別小作争議件数
                   
 
      年度      件数
     1921     27
     1922     24
     1923    176
     1924    164
     1925    204
     1926    198
     1927    275
     1928   1590
     1929    423
     1930    726
     1931    667
     1932    305
     1933   1975
     1934   7544


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