日記

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [管理]

2008年11月17日(月) 重罰化は目的合理的だったのか

 飲酒運転で交通事故をおこした犯人が,その後も被害者をひきずったまま逃走しようとして しなせてしまう事件が あいついでいる。
 福岡で飲酒運転による交通事故で被害者の くるまが はしから転落し,幼児2人が死亡した事件をきっかけに,飲酒運転による事故に対する法的,社会的制裁は極度に きびしくなった。以前であれば,新聞ネタにも ならなかったような軽微な事故であっても,公務員や教員が飲酒運転で事故をおこせば おおきく実名が報道され,失職に いたるようになったし,もし被害者が重傷をおったりすれば 飲酒運転撲滅という だれも否定できない正義の みはたのもと,しつような加害者たたきがワイドショーなどで おこなわれるようにも なった。
 もちろん,飲酒運転が いいことであるわけは ない。だが,それをなくすために重罰化することが,ほんとうに事故をへらすことに つながっているのか。

 ほんとうに事故をへらすために できることは,道路で じみちな とりしまりを強化することだろう。もちろん,それには人員も経費も かかる。一方,人身事故が おきたときだけ おおさわぎし,重罰に処すことは,みせしめの効果が あるにしても,ときには少数とはいえ,事故をおこした運転手に「どうせ つかまるのなら」という自暴自棄な気もちをおこさせ,ひきにげ殺人をも いとわなくさせてはいないか。

 みせしめの効果で抑止力を期待するのは,ひにくなことに,それなりの良心と正常な判断力をみんなが もっているという前提を必要とする。それは,「あんな わるいヤツは厳罰にしてしまえ」という大衆感情が前提としている犯人に対する悪人視とは矛盾する。合理的でなく感情的な重罰要求は,加害者に対しても非合理的な思考を誘発してしまうのだ。

 かならずしも はじめから悪意をもって意図的に されるわけではない交通事故においてさえ,そうなのだ。なら,殺人のような凶悪犯罪に対して重罰化が目的合理的な対処策でないことは明白だと いうべきだろう。つよい動機をもって おこなわれる殺人に,重罰化による抑止は きかない。どうせ死刑になるのならと,ますます凶悪な方法をえらばせてしまうだけだ。

 凶悪事件の容疑者に対して「『犯人』は死刑にするしか どうしようもない ヤツだ」と思考するのは,「容疑者の無前提な犯人視」と「量刑についての感情優先思考」という点で二重に冷静さを かいている。さばく がわや,とりかこむ社会の がわが そのように冷静さをかいた感情的な対応をしていれば,冷静さをかいた感情的な理由で事件をおこしてしまう「凶悪犯」も,その社会の産物として,増産されていくことだろう。また,かりに外部からのテロや侵略の脅威が あるとしても,逸脱した存在に対しても合理的な包摂性をもとうとする社会より,逸脱した存在を敵に みたてて集団で たたくような やりかたで一体感を維持しようとしている社会のほうが,たやすく浸透できるものでは ないだろうか。これは よくよく かんがえるべきことだと おもう。

[先月] [目次] [来月] [最新版]

your@mail.address
Akiary v.0.51