日記

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2007年3月25日(日) 人為的な線びき

 「脳死」という概念が,ひとの生死を決する重大な ことで あるにも かかわらず,実は きわめて人為的な線びきに すぎないということをしめす事例として もちだされる ことの ひとつに,妊娠した女性が「脳死」判定後に出産することが できるという はなしが ある。

 いま,おもわず わたしは,「妊娠した女性が」という主語をかえないまま「出産することができる」と かいてしまったが,「脳死」をひとの「死」と するのであれば,すでに 「脳死」判定が された時点で その女性は死亡していることになるのだから,出産したのは「妊娠している女性」ではなくて「妊娠していた女性の死体」のはずだ。わたしたちは すでに「脳死」をひとの「死」とする法律をみとめてしまったのだから,「死体」が出産する可能性も法的に みとめたということになる。

 タレントの向井亜紀さんが代理出産をへて えた ふたごを実子として とどけでようとして 受理されなかった件についての裁判で,最高裁が「出産していない女性をははおやとは よべない」として不受理を妥当とする判決をだしたと きき,うえのことをおもいだした。

 一方で,「死体」が出産する可能性をみとめ,その一方で「出産していない女性をははおやとは よべない」とする。それが いまの日本の法律だ。両者は論理的にみて完全に矛盾しているわけでは ないのかもしれない。だが,両者をともに なりたたせる解釈をとおらせる みちは かなり せまい。そして,不自然な みちだろう。両者をともに なりたたせる解釈をとおらせる 論理の みちすじからは,すくなくとも,「尊厳」とか「おやこの きずな」などと いう ことばで わたしたちが了解してきたものや,了解したいと おもっているものは はじかれざるをえないだろう。でてくるのは,「『死体』であっても出産できるのである。いきているのに出産をしないで ははおやには なれないのだ。」という宣告だ。それなら,もとより すべての ちちおやは おやである資格など はじめから ないことになる。

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Akiary v.0.51