日記

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2005年6月20日(月) ホンネとタテマエ

 慶尚南道の道庁職員への日本語出向授業で、「いろはかるた」を材料にして ことわざをおしえています。

 「いろはかるた」の世界は町人文化をいろこく反映していて、ちょっと下品な表現のものが おおく ふくまれている反面、生活感のあるものが おおいと おもいます。

 これをタテマエを旨とする武家の文化と くらべたときに ホンネが おもてに でてくる町人文化の特徴であると とらえて説明したのですが、予想どおりというか、やっぱりというか 韓国人の対日意識のなかにある固定観念としての「ホンネ」と「タテマエ」の理解と衝突してしまいました。

 韓国では日本人が「ホンネ」と「タテマエ」をつかいわけるというのは 簡単にいえば「日本人は うそつきだ、信用ならない」という文脈で かたられることが 非常におおいのです。だから、首相が過去の歴史について ちょっと謝罪しても「あれはタテマエで、本心は ちがう」というような解説が すぐ でてきてしまいます。まあ、その解説が あたっているかどうかは別にして、たしかに日本の政治家は そういう謝罪があっても すぐに それをうちけすような暴言をはくし、小泉首相は靖国に参拝しつづけているしで、かりに これが誤解だとしても 日本を代表する ひとたちが その「誤解」が いかにも ただしい理解であるかのように行動で うらづけてくれています。

 でも、、、でも、おもうのです。そういうふうに「ホンネ」と「タテマエ」という ことばをつかった「解釈」を恣意的に つかったら、いつまでたっても自分のイメージとは ことなる日本の現実にふれても それをみなかったことにできてしまうではありませんか。「あれはタテマエに ちがいない。。」と。要するに、韓国人の日本理解にとって、「ホンネ」と「タテマエ」という ことばは、自分たちが どんなに ゆがんだ日本像をもっていたとしても それを修正せずにすませることのできる便利な説明の道具になっているのです。

 だから、だからこそ、わたしは 武家文化と町人文化の二重構造という わくぐみで これを説明しようとしたのでした。「日本文化」という 国籍をかぶせた用語で その文化の多重性をぬりつぶして 平板で均質なものとして理解するのは よくないと おもいます。それが、現在の対日理解にとっても日本のイメージが極端と極端とに分裂し、中庸がとれない像をえがいてしまう もとになっているのだと おもいます。

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