日記

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2004年1月1日(木) おめでと

あけましておめでとうございます。

2004年1月1日(木) なぜ この ひに。。

 小泉首相のヤスクニ参拝。

 なぜ元旦に。

 きょうから韓国では日本文化の第4次開放が はじまった。韓国の政府当局はそれだけのリスクをかかえながらも 未来へむけて 日本との関係をよくしようとして 開放をすすめている。

 なのに,なぜ その ひに ひやみずをあびせるようなことをするのか。

2004年1月3日(土) なまけ病?

新年そうそう,頭痛で ねこんでしまいました。

ねつとかは ないんだけど。。。やりたい仕事が すすまない。

2004年1月4日(日) なんなんだろう

頭痛は なおったんだけど。。

どうも,おなかが すくと,頭痛になるみたい。

と, いうことで,たべつづけては どんどん ふとってしまうし。。

どうすりゃいいんだ!!

2004年1月6日(火) 算数の日本語

 いもうとが こどもをつれて実家にきている。

 めいの勉強をみてほしいというので,就学まえの こども用の教材をするのを
てつだった。

 「10この けーきを ひとりに 2こ わけると,なんにんに わけられますか。」

 めいの こたえは「4人」。

 なぜかというと,「ひとりに2こ わけたら,あとは8こしかないから,4にんにしか わけられない。」

2004年1月8日(木) 音節とモーラ

 『音韻構造とアクセント』研究者出版
の前半をよむ。

 英語は音節言語で,日本語はモーラ(拍)言語だというような理解は表面的であって,どちらの言語にも音節とモーラの両方の要素が かかわっていると みることから,両者に共通する意外な音韻構造の共通点が みつかるという おはなし。

 なかなか,おもしろかった。

 なにかと なにかが<ちがう>ことを指摘したり<おなじ>だということを指摘するとき,その おおくは あらかじめ どちらかの結論をえようとする 論者の視点によって つごうのよい材料が誇張されがちだと おもう。<ちがう>のか<おなじ>なのかという どちらかに ひとつという議論にならないような論じかたをしないと おおくの問題は うまく解決していかないのではないかと おもう。

2004年1月17日(土) 不思議な本

 なんとも不思議な本をよみました。

 『ポストナショナリズムの精神』立川健二 2000 現代書館

がんらい本をよむのが はやくはない わたしにしては,これだけの分量のある本を3日くらいで よみきるというのは ふつうのことではないのですが,それは,この本が あまりにも あからさまな混乱のままに おわっていることとも関係があると おもいます。

 立川健二という ひとは,『現代言語論』(新曜社)の共著者であることによって わたしは しっていたのですが,新進のソシュールの研究者として いつかは この ひとの専門の本をよみたいと おもっていたのです。

 どちらかというと,そういう わたしの職業がらみの分野での活躍をみて しった人物が,「ナショナリズム」をあつかった政治思想に ふみこんだ本をだしたのですから,わたしとしては よまないわけには いかない本だったのです。

 で,帰国してから図書館で本をかりて よんだわけですが,ほんとうに びっくりしました。

 ひとことで いって,この本の前半はナショナリズム批判として非常に するどい きれあじの論考が ならんでいます。そして,よみすすむに つれて,著者が主として言語にまつわるナショナリズムをどのように超えていくかという問題について格闘しているさまが よみとれます。ところが,最後の章になって,この著者は急に,日本人としてのナショナリズムを肯定する方向へと ふみだすのです。

この,最後の章にいたる直前に,著者は数か月ほどの こころの やまいを経験し,なにも かくことが できなくなったと告白しています。そして,この数か月の あいだ,新聞とテレビから とおざかっていたことで,著者は,「この年齢まで自分を呪縛してきた進歩的・反日的イデオロギーの『マインドコントロール』が解けるという,予想もしない収穫があった」と かいています。そして終章においては,松本健一,清水幾太郎,西部邁,勝田吉太郎といった論客の発言を引用しながら,自分の思想の急転回をあとづけているように よめます。

いったい,こんな混乱した本が よのなかに あるものかと おもうのですが,逆に かんがえると,これは すごく貴重な本なのかもしれないと おもいました。ふつう,政治的な たちばが おおきく かわった人物は,かわった あとも,そのことについて つじつまをあわせようとするか,過去において主張したことについては なかったかのように ふるまうものでしょう。しかし,この立川健二の本は,みずからの混乱を混乱したままの状態で なげだしています。そして,「主題のナショナリズムにかんして,本書の言説が否定から肯定へと大きく揺れ動いたことは,著者の眼にも明らかである」と その様子をみずから みとめています。わたしには,「おおきく ゆれうごいた」あとの著者の主張は あまりにも雑に おもえるし,それまでの問題意識をおもいおこせば,なにか とってつけたような主張をもとにしているように みえるところが おおいのだけれども,ここには,もともと政治活動をしていたわけではないが左翼的な言説とヨーロッパのポストモダニズムになれしたしんだ ひとりの知識人が,ふとしたことで保守的なナショナリズムに共感をおぼえるようになる なまなましい事例が観察できるわけです。

ナショナリズムを批判するために必要な理論的な武器をあまりあるほど もちあわせているに ちがいない この人物が,だれに強制されたというわけでもなく,おそらくは利益誘導をうけたと いうような事情でもなく,「あえてナショナリズムの再評価という立場を引き受けざるをえない」とするのは,本人の言によれば「反時代的」な思想を選択ことなのだそうです。「反時代的」な思想を選択するところに「自由」をみいだすというのは,それだけをとりだせば ありがちな あまのじゃくだとも みられないわけでもないけれども,わたしには 1999年という,これらの論考が かかれた時点においてナショナリズムを再評価するという おこないが「反時代的」な思想の選択であるとは とうてい おもえません。西部邁が同様のことを1980年代のはじめに いったときには,アカデミズムにおいて保守思想が ひかげものあつかい されていたと いうことも,そうしたことを背景にした進歩的知識人の陣営に対するルサンチマンというのも きっと実感をともなっていたのだろうと同情させるだけのものが あったかもしれません。しかし,わたしと そう年齢も かわらない この人物が いまになって そんなことをいうというのは,どうにも不可解です。

しかしながら,この不可解さのなかに,もしかしたら,この数年間に すさまじい いきおいで噴出してきている日本におけるナショナリズムの ねっこが あるのかもしれません。いったい それは なんなのでしょうか。


 この本の最初のほうには,つぎのような記述が あります。

  《日本人》にもいろいろな味覚の持ち主が存在する以上,自分ひとりの感覚を
  《日本人》一般とすりかえるというのは,どこか無理があるのではないか。
  言いかえるなら,彼というひとりの人間の,いわば実存的な体験を《日本人》の
  民族的体験とすりかえるのは,不自然だし,余計なことではないか

これは,フランスに あそびに きた この本の著者の友人が,自分の したに あう料理をまえにして,「これ,日本人のくちに あうね」と いったというエピソードをうけて かかれてものです。こういう指摘は「民族」というのもも虚構性を指摘するうえで非常に重要な点だと わたしは おもいますが,ここで注目したいのは そのことではなくて,この本の著者が「実存的」という語をここで つかっていることです。『現代言語論』において現代思想と よばれる言語学や記号論の言説をてぎわよく解説していた人物が,「実存」などと いいだしたことに 多少の おどろきをおぼえながら,わたしは むしろ,好感をもって この部分をよんでいました。ところが,この「実存」というキーワードが,この人物の思想的な転回に ひとやくかっていると いうことが,終章になって わかるのです。

  いまこの小著を書き終えようとしているぼくは,この意味での<精神>の問題と
  して,ナショナリズムの問題に再度立ち向かってゆけ,とどこからともなく誘わ
  れているような気がしている。このとき大切なのは,集団の思想,すなわちイデ
  オロギーとしてのナショナリズムではなく,<個>としての人間が生き,苦闘し
  たナショナリズム,まさに<精神>のドラマとしてのナショナリズムではないだ
  ろうか。

 結局のところ,立川健二は 理論としてナショナリズムを批判するのには,ありったけの道具をてにしながら,そうした批判が,自分の内面の<個>に やどるアイデンティティーの ありかたの問題,つまり「実存」としてのナショナリズムを解消する てだてとしては まったく役にたたないということに 気がついてしまったのではないでしょうか。それが,この本の混乱の おおもとになっているように わたしには おもえます。

 こういう本をだされると,左翼からは ますます,「実存」などと いうことをいう人物は信じられないと いうふうに いわれてしまいそうです。しかし,わたしは反対に おもいます。「実存」において かたることが できていないということに無自覚な理論中心主義が左翼を衰退させているという過程が いまにいたっても,まだまだ つづいているということなのではないかと。

2004年1月26日(月) 第五福竜丸の現在

『朝日新聞』に,第五福竜丸の被曝50年ということで連載記事が でている。

今回,当時の船員の ひとりのインタビューが でていたが,その内容以上に おどろかされたのは,インタビューに応じた その ひと以外の船員は すでに死亡しているか,で なければ,全員が取材拒否をしているということだ。

第五福竜丸の船員であったことをいまも かくして くらしている ひとは おおい。本人が なくなったときの葬式で,インタビューに応じた もと船員は 第五福竜丸のことは はなさないでくれと 念をおされたという。

かれらは あきらかに米国の核実験の被害者であって,なにも せめられるべき過失が あったわけではない。と わたしは おもう。当時の事実を しらない いまの ひとが本をよんで 経緯をしれば,ほとんどの ひとが そう おもうことだろう。

それでも,この被爆者たちと,その家族は世間をおそれる。当時,焼津のマグロが 死の灰をかぶっていると いわれて うれなくなったというのも,いまでは とおい むかしの はなしだ。被爆体験をかたることで 焼津の地域社会に風評被害が およぶなどということは いまでは かんがえられない。それでも,被爆者たちは 体験をかたりたがらない。


韓国の もと従軍慰安婦の おばあさんたちが証言をはじめたとき,その証言の内容を否定しようと する ひとたちは,「なぜ それまで 被害をかたらなかったのか。ニュースになったときに急に なのりでてくるのは不自然だ。」などと いった。なかには,「はなしをすれば祖国の英雄になって賞賛されるから なのりでているに ちがいない。いまになって,ほんとうのことをはなしたくない 被害者が おおいなどと いうのには理由がない」と いって,いまだに じゅうぶんに かたられていない事実が かくされているという可能性を否定した。しかし,日本において,関係者でなければ なにも被害者が みずからを「はじ」だなどと おもってしまう事情が ないと おもわれる第五福竜丸の事件でさえ,このようなことが あるのだ。

「証言」をさせない 暴力というのは,わたしたち自身の社会が いまでも おなじように かかえている暴力なのである。ただ,わたしたちは その自分たち自身が かかえている暴力に 不感症になっているだけなのだ。

2004年1月29日(木) 「小ざさ(おざさ)」の ようかん

 吉祥寺に実家があるので,「小ざさ(おざさ)」という みせの ようかんが全国的に有名で,いつも 列をつくって かう ひとが ならんでいるということは,しっていた。ははが ときどき かってきて たべさせてくれたこともある。

 中学生,高校生のころ,通学途中に この みせの まえに いつも ひとが ならんでいるのも みてきた。

 だが,ときには あさ5時に ならんでも かえないことがあるとは しらなかった。

 2月1日のイベント(うえ参照)のために ようかんをかってみようと きのうの あさ,4時半ごろ でかけてみた。わたしは3番めに ならんだ。4時間ほど まって,8時半に整理券が くばられた。30番までが かえる。30番めの ひとは 6時半ごろに きた ひとだった。

 もう30年以上 つづいている光景らしい。このように整理券が くばられるようになり,常連で ならんでいる おばちゃんたちは,きたひとをじょうずに整理して,30人になると もう きょうは かえないということをきたひとに おしえてくれる。ひさしのある むかいの みせの のきしたで,1番の ひとから 何番の ひとまでが どこに ならぶのかということまで きめてあって,ならんでいる列が どこまで のびているかで,何人 まっているかかが一目瞭然になるようにしている。

 こんなふうに あさ はやく きて,まつ ひとたちは,ほとんどが年金ぐらしの 老人である。しかし,この時期は さむい。さすがに 30人に達する時刻が おそくなるようだ。3月のお彼岸が ちかくなると 5時まえに いっばいになってしまうようだ。

 ここにも わたしの よく しらない人間模様が あるのだと 感心した。かつて わたしは こういう ひとたちが ならんでいる そばを毎日のように とおりすぎていたのだった。

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Akiary v.0.51