(2000年2月27日から)

短期集中講座【連載】 

プサンへの みち 第2章

                  (副題:日本語教育のゲンバの歴史

第1章をかいてから、さんざん おまたせしましたが、
『プサンへのみち』を再開します。第2章は専門学校編です。

わたしが、どんなぐあいに プサンへ くることになったか、その あらましを説明します。

その ついでに、

日本語教育の業界について、まったく ご存じでないかたのために、
なしうるかぎり、懇切丁寧かつ わかりやすく(多少くどいけど)

この業界の なりたちと実態と展望を経験に もとづいて かくことにします。

これから日本語教師をめざすかたからの おといあわせをうけるたび、
いつかは かかねばと おもっていたことです。

どうか、この講座で日本語教育の周辺知識をみにつけ、
あとになって後悔しないよう、覚悟をきめて のぞまれますよう、
これから、日本語教師をめざす すべての かたがたに うったえたいと おもいます。
 

もくじ 

 

 

 

 

  第1章へ もどる

 

 

 

 

専門学校の日本語科

 

 

 

 

 

 

 

6. 専門学校の日本語科

 90年の4月から、わたしは川崎にある専門学校の日本語科の専任講師に なりました。

 専任講師になった理由は、まえにも のべたように、日本語教育振興協会の認定校となるための あたらしい設置基準をみたすために 学生定員によって きめられた かずの専任講師をおくことが義務づけられたことと、専任講師になるためには、日本語教育能力検定試験に合格しているなどの、資格をみたしている必要が あったからです。そして、もうひとつの理由は、もとからいた先生たちは、おおくが家庭の主婦をかねていて、実際に専任講師として毎日8時間勤務することは できないという事情が ありました。

 わたしは、時間講師だから よくないとか、日本語教師に主婦業をかねる ひとが おおいのが いけないとか、いう つもりは、まったくありません。ただ、当時の わたしの職場では、その構成が極端でした。わたし以外は、学校の職員が臨時で授業を担当するほかは、すべて時間講師であり、当初は その全員が既婚女性でした。そして、たとえ要請されても 毎日出勤できる時間講師はおらず、時間があいていたとしても、それを希望しない ひとたちで しめられていたのです。なぜかというと、税制上の扶養家族の控除が うけられなくなるほどの収入は えたくないと かんがえていたからです。もちろん、これは当人たちに責任のある問題ではなく、日本の税制が、女性を家庭に とじこめるような措置をとりつづけていたことに問題が あるのですが、そうはいっても、それが現実であるので、わたし自身の実力とか経験に関係なく、独身で男性であり、検定試験に合格しているというだけで、学校としては わたしを専任講師として確保しようとするのは必然であったとさえ かんがえられたのでした。

 ところで、あたらしい学校は、さきほど「日本語学校」と かきましたが、正確には「専門学校の専門課程としての日本語科」なのであって、いわゆる「日本語学校」とは区別されています。と、いうか、自分たちは、いっしょにされたくないと、かんがえているようなところが ありました。

 具体的に、どういうところが ちがったのかというと、まず、学生のビザが「就学」ではなくて「留学」でした。ビザ(正確にいえば在留資格)の区分からいえば、大学に属している留学生と おなじ あつかいでした。そこで、学生についていえば、県や市の助成が うけやすいとか、奨学金や学生会館入居者の対象になりうるとか、通学定期券を発行してもらえるとかの便宜が きくというほか、入管法の施行上は、同伴ビザの発行をうけられるというメリットが ありました。同伴ビザとは、在学中の学生が、自分の配偶者を日本に よびよせるときに、その配偶者に だしてもらう在留資格のことです。ただ、この最後の点については すぐに あつかいが きびしくなり、専門学校生でも日本語科では 原則としてダメになり、そのうち ほかの専門課程でも きびしくなりました。

 それから、専門学校ということで、その設置基準が二重に管理されていました。そもそも専門学校とは、専門課程をおいている専修学校のことですが、これは学校教育法によって さだめられた公教育の体系に 属する存在です。そこで、その設置に関しては都道府県知事の認可が必要であり、設置後も、専修学校としての基準をみたす教育内容と教育施設の管理運営が されていなければなりません。ほんらい、それであるからこそ、そこに在学する留学生は「留学」ビザをえているわけですが、どういうわけか、日本語教育振興協会が 日本語学校の設置基準をつくったときに、専門学校の「日本語をもっぱら まなぶ課程」も、その設置基準に したがって、学校の審査をして、その審査に とおった学校にだけ、外国から入国する学生の在留資格をみとめるということに なってしまいました。そうなった経緯については くわしくは しりませんが、「留学」ビザの留学生をかかえる学校の あつまりのなかで、専門学校のグループが まとまりきれず、文部省主導による学校審査に対して、日本語教育振興協会をとおして法務省が なわばりをひろげようとしたのだとか、政府が、都道府県に認可の権限がある専修学校の設置基準に不安を感じたなどの、うわさは ありました。

 そこで、結局のところ、専門学校の日本語科というのは、専門学校としての基準と、日本語教育振興協会の基準の両方をみたしていなければなりません。そのために、ふつうの日本語学校より なつやすみが すくなくなるとか、週の時間数を22時間にしなければならなくなるとか、運営の面で、制約がでました。さらに、おおきな問題は、それが1年課程であったことです。専門学校の専門課程には、1年制、2年制が ありますが、2年制の課程を設置するための条件は きびしく、あたらしく つくられた日本語の課程は ほとんどが1年制か1年半の課程で申請されていました。それでも、最初のうちは、留年しても在留資格が でていましたが、これも じきに きびしくなり、入学して1年たったら、かならず卒業させなければならなくなって しまいました。これは、日本語としては おおきな問題です。なぜなら、ほかの専門課程は、それ自体が短大に相当するものですが、日本語科の実態は、日本での大学進学をめざす外国からの留学生が、大学入試にそなえて日本語力をつけることを目的に きていたからです。ほかの日本語学校のように2年までは在学できるという保証がなければ、大学入試の時期まで またずに帰国しなければならなくなってしまいます。とくに、わたしのいた学校は1年制しか ありませんでしたから、1年2回の募集で、10月に入学してきた学生は、半年も たたずに どこかの大学に合格しなければ、もうチャンスは なくなるということに なってしまったのです。

 この問題を解決するために、わたしのいた学校では、あたらしい1年課程を新設することになりました。わたしは、その 新設学科の教科内容や、運営体制などをかいた申請書の作成に たずさわりました。また、日本語教育振興協会の審査をうけるための書類の作成も しました。それぞれ、別の審査ですが、両者には矛盾する点もおおく、正直にいえば、こちらたてれば あちらたたずで、相当 苦労しました。

 


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