(1998年3月6日から)

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1998.7.19   戦後体制のからまわり

  このまえの記事にかいた、「自由主義史観」と「漢字制限」についての論考は、ある共通点をもっているように かんじている。

  その共通点をひとことでいうと、「戦後体制のからまわり」とでも いうことだろうか。

  わたしは、なにも、ふたむかしぐらいまえに はやった、「戦後民主主義の虚妄」などということを くりかえしいうつもりではない。この点、わたしは かなり戦後平和主義の再評価をすべきだという側にいるつもりなのだけれども、それだけに、その再評価すべきことがらが なおざりにされたのは、それら自体のなかに からまわりせざるをえない欠陥があったからではないかと おもっているのだ。

  漢字制限にかんしては、いうまでもなく、日本語表記のローマ字化の提案まででていたなかで、アメリカ占領軍の影響下にすすめられたという面があった。そこでは 日本人の国語学者・言語学者たちの真剣な討議があり、合理的な思考もみとめられるとはいえ、世間には これを「日本語の破壊」と うけとる感情がのこった。そして、いつしか 保守政権のもとで国字改革派は中央からはずされ、当用漢字のもっていた漢字制限の志向性は、「常用漢字」の登場でおおはばに後退させられたのである。

  ここでは、ほんとうに表記が表音的でなければならないということの内在的な根拠がほとんど自覚されず、ただ、「こむつかしい漢字をつかうのは民主主義に反する」というイデオロギーだけが流行し、そしていつのまにか きえていった。言語学者の田中克彦は、著書や論文の中で、その間、著名な国語学者たちが おそらくは本人も無自覚なうちに これらの問題に対するスタンスをかえていることを指摘している。かつては漢字のシステムの不合理をいいたてていた論客が、別の論拠をもちだして、漢字こそが日本独自の成功のもとなのだといわんばかりの主張にくみしている。

  これは、一見、政治と無関係にみえるだけに わたしのかんがえる「からまわり」の構造がよくみえる事例である。一方で、外国人労働者がふえ、視覚障害者のかかえる困難・在日一世などマイノリティーの問題などが浮上してきたときには、日本人の多数派は、漢字をつかった表記システムをかえようというような発想をなくしてしまっていたのである。

  しかし、ほんとうに問題がなくなったのであろうか。たしかに わたしたちのおおくは、それほど漢字に不自由しているようにはみえない。しかし、ほんのささいな かきまちがい・よみまちがいが そのひとの評価をさげてしまうことはよくある。漢字の知識のあるなしは、初歩的なレベルにかぎらず、平均的なレベルであれ、ライフチャンスの おおい/すくないに影響しているといえないだろうか。自分のレベルよりも おおくの漢字をつかうひとには 「えらぶっている」などといいながら、自分よりしたのレベルのひとに対しては そのひとをバカにするような “抑圧移譲”の構造があると いえないだろうか。

  漢字の数がすくなくなり、よみかたも 一定になれば、それで こまるひとは 実は非常にすくないはずである。それで たすかるひとは 潜在的には絶対多数だといえる。それなのに、漢字が維持されているのは、その非合理性を維持することが この社会の成員のおおくが とらわれている「ひとなみ」であろうとする意識をささえ、微細な知識の量の差を社会的なステータスに反映させようとするエリート主義の差別構造をささえているからではないか。そして、そのような差別ゲームに参加しようとしない“他者”を異物として排除することと むすびついていないか。わたしの疑念は、ひろがるのである。

  表記のシステムと言語そのものとは、別のものである。ローマ字でかかれようと、ハングルでかかれようと、日本語は日本語であって、それで 別の言語になるわけではない。ローマ字や かなでかかれれば不自由なく日本語をよみかきできるひとが 日本語教育の普及とともにふえてきた。そのような時期にこれまでにもまして、漢字礼賛の主張がひろまっているのは、みずからをひらこうとしない日本の社会の自己防御機能のように おもわれる。「自由主義史観」にも、わたしは おなじことを感じるのである。

  わたしたちが 「日本」のカラにまもられてしか いきつづけられない、そのためには 不合理なシステムであれ、世界に通用しない身勝手な歴史観であれ、自分たちの約束事として維持しつづけることに意味があるというような態度。それが、いま、危機のなかでのたうちまわっているのだと、わたしはおもう。  top メール 感想 投稿 


1998.7.4   漢字制限について

  ここから かくのは、わたしが あるメーリングリストに投稿した意見です。

  自分の投稿だけをのせるので 議論のながれが わかりにくい部分があるかもしれませんが、だれもが ひとこと いいたい話題だとおもうので、ご意見があれば、文末の「投稿」の ところを クリックして、ご投稿ください。

  この わたしの かんがえは、このまえの記事である “「自由主義史観」について”で 紹介した ましこ ひでのり氏の『イデオロギーとしての「日本」』(1997 三元社)などから 影響をうけています。

  最近、わたしは このホームページでも わかちがきをおおくし、漢字を なるべく音よみ熟語にだけ制限しようとしていたのですが、おきづきでしたでしょうか。その理由も、これからのせる 文章のなかにしめされているはずです。

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 「表外字字体表試案について」という タイトルでカンジ・セーゲンについて
ギロンしましたが、はなしの かみあわないところが おおかったようにおもう
ので、わたしの かんがえを その もとになっているキホンテキな たちばか
らリカイしてもらうために まとめなおしてみたいと おもいます。
 つぎの 5コーモクについて かきます。
 1.わたしの かんがえのヘンカ
 2.だれのための ヒョーキか
 3.なぜゲンブンイッチか
 4.カンジがないと フベンか
 5.カンジに たよらない ニホンゴのために
         1.わたしの かんがえのヘンカ
 わたしは もともと、カンジ・セーゲンには どちらかというとハンタイの 
たちばでした。いちど てにいれたカンジをてばなしたくなかったし、ショーラ
イテキに かながきを めざすという かんがえかたは ニホンジンの つちか
ってきたブンカシサンを すててしまうことのようにも おもえたからです。そ
れに、イチブの カンジ・ゴには かながきでは イミの よく つたわらない
ものが あることも きになりました。
 そんな わたしの かんがえが かわったのは ごくサイキンです。ニホンゴ・
キョーシになってから ゲンゴガクを まなんだり カンコクゴと つきあうよ
うになって すこしずつ「カンジはセーゲンすべきだ」とおもうように なりま
した。
 いぜんから 「カンジをつかうことは ミンシュ・シュギにはんする」という
イケンがあることは しっていましたが、サイショは わたしも、それを イッ
シュの グミン・カ・セーサクのように とらえていたと おもいます。「タイ
シューは バカだから、かなのほうが いいだろう」というエリートの みくだ
した かんがえだという きめつけにも コンキョもなく ナットクしていたジ
キが ありました。
 しかし、あるジテンで、わたしは ハンセーをせまられました。カナモジ・ウ
ンドーや ローマ・ジ・ウンドーのことは よくしりませんが、ウンドー・カた
ちは すくなくとも みずからジッセンをともなって ショースー・ハのシュチ
ョーを つづけているのですから、これを「タイシューを みくだしたかんがえ
だ」と いうのは あまりにもシツレーだと おもったのです。
 また、わたしは、オンセーのついた カナモジ・ワープロのキーを たたくこ
とが ユイイツのカイワ・シュダンである ノーセーマヒのショーガイシャのカ
イゴをしたときの ことをおもいだしたり、じぶんがニホンゴをおしえる ノン・
ネイティブのニホンゴ・ワシャたちとの つきあいを へるなかで、このひとた
ちの たちばにたって かんがえたら カンジが どのような キノーをはたし
ているか みなおさなければならないと おもうように なったのです。
     2.だれのための ヒョーキか
 いまの わたしは タイシューをみくだすと いうよりは、ジブンが カンジ
をつかいつづけることが ツミであると いうような きもちでいます。そうは
いっても “なれ”のモンダイもあるし、シューイに うけいれられなくては 
イミが ありませんから、テキトーにダキョーしながら カンジを つかってい
ますが。
 ここでのギロンで、「ことばは コーキョーのもので、カンジも ことばのジ
ューヨーな はしらのひとつ」なので、つかわれることは しかたがないという
イケンがありましたが、このイケンと、わたしのイケンでは、「コーキョー」と
いう ものへの とらえかたが ちがうのかもしれません。
 わたしは すこしでも おおくのひとが ビョードーに サンカするために 
ショーヘキとなるチシキが なるべく すくないホーホーをとるのが コーキョ
ー・セイの はしらにならなければならないと おもっています。これはセージ・
シソーに かかわることですから、タイリツする イケンがありうることを ジ
ューブン ショーチしていますが、センモンカに まかされるべきリョーイキで
あるなら ともかく、みんながサンカするケンリを もつべきリョーイキからは
カンジのチシキが ないことが すこしでもフリに はたらかないようにすべき
では ないでしょうか。
 これは、やはり シャカイ・イッパンのサベツとか、キョーイク・システムの
モンダイに カイショーすべきではなく、ことばのヒョーキ・システムのモンダ
イとして ギロンされなければならないと おもいます。むしろ、かながきを 
しないことによってジョーホーからハイジョされる ひとが ふえることに ム
ジカクである ということが、サベツへの ムジカクを ものがたっているので
は ないでしょうか。
 もちろん、なかには はなしことばとしてのニホンゴからもソガイされている 
ひとが ソンザイします。その ひとたちからみれば、ヒョーキを どのように
しても モンダイは カイケツしないでしょう。でも、そのようなギロンは、く
るまいすヨーのスロープをつくっても くるまいすにも のれない ひとには 
やくにたたないから、スロープは いらないというのと おなじです。カンジを 
つかえるひとは カクジツに いま、わたしが かいているような ヒョーキが 
リカイできるのですから、リカイできる ひとの はばを なるべく ひろげる
ために かなヒョーキを ひろくサイヨーすべきだと いっているのです。それ
によって わたしたちの はなしにサンカできるひとの ワが ひろがるのです
から。
     3.なぜゲンブンイッチか
 たしかに カンジをつかっていることで、わたしたちは ぜんぜん はなすこ
とができない チューゴクゴのシンブンが すこしリカイできたりします。しか
し、かんじんの ニホンゴのなかで、カンジに たよることから いろいろなキ
ノー・フゼンが うまれていることも みすごせません。
 オンセー・ガクで、「高母音」と「広母音」は イミがセー・ハンタイで、「
後母音」というのも あるので、ふつうに「コーボイン」というと、なにがなん
だか わかりません。ケッキョク、「タカボイン」「ヒロボイン」「ウシロボイ
ン」と よぶようですが、このレーについて かんがえてみましょう。
 カンジ・ヨーゴ・ロンシャは 「だから、イミをクベツするために カンジが
ヒツヨーなんだ」と いうかもしれません。でも、わたしは 「もし かなヒョ
ーキが イッパンテキであれば、はじめから『コーボイン』とは いわずに『タ
カボイン』などと なづけ そうヒョーキされ、みんなが そうよむだろう」と 
かんがえます。カンジを つかいつづけるから きいてわからない ことばが 
ふえるというのは、こういうイミです。
 これを「ホンマツ・テントー」だという ハンロンをうけましたが、いま は
なされている ことばはヘンカせず、それをヒョーゲンするのは 2ジ・テキだ
というゼンテーをふくんだギロンだと おもいます。わたしは、ヒョーキのシス
テムが、ゲンゴ・ゼンタイに あたえるエーキョーをかんがえて、カンジをつか
うことがゲンインなのであり、よんで わからない いいかたになってしまうこ
とが ケッカだと かんがえます。
 カンジは、イッシュのマヤクのようなもので、つかいつづけることで、このよ
うに、ますます たよらざるをえなくなるセーシツが あるのではないでしょう
か。
 オンセーをカイさずに ことばをシュートクする センテン・テキ・チョーカ
ク・ショーガイシャでさえ、シュワのことをかんがえたら、よのなかで リュー
ツーする ことばが きいてわからないような ことばがおおいと クローがゾ
ーダイします。まして、シカク・ショーガイシャたちにとっては、きいてわかる 
ことばをつかうことがコミュニケーションのゼンテージョーケンです。これを 
どうして「カンジのモンダイでなく、テンジのモンダイだ」などと いえるので
しょうか。そもそも テンジでカンジを どのようにかけというのですか?
  ゲンブンイッチというのは、ことばを なるべく おおくの ひとたちに 
カイホーするために ヒツヨーなことです。シンかなづかいが センゼンのセダ
イにもテーチャクしたのは、フゴーリなテンをのこしながらも ジッサイのハツ
オンに ちかづいたからです。
 また、ヒ・ボゴ(母語)・ワシャにニホンゴを おしえていると すぐわかる
ことですが、いまのニホンゴを わかりやすく つかうためにヒツヨーなチシキ
は、コテン・ブンポーとのレンゾクセーなどではなく、キョージ(共時)・テキ
なブンセキに もとづいた ゲンゴのキソクのニンシキでしょう。くわしい は
なしは さけますが、そのためには かなづかいのレキシ・テキなブブンは た
すけにならず、むしろ じゃまになります。これは、いまのニホンゴを じぶん
たちの つかっている ことばとして みつめなおすために、ネイティブの は
なしてにも あてはまることだと おもいます。
 
     4.カンジがないと フベンか
 カンジは、ケータイソ(形態素)として キノーしています。セーカクにいう
と、カンジ・オン(オンよみ)が、ゾーゴ・セーブン(造語成分)になっている
メンが あるということです。
 しかし、すべてのカンジが、ゾーゴセーブンとして、ジッサイにキノーしてい
るわけではありません。わたしたちは、そうそう すきかってにカンジをつかっ
て あたらしい ことばをつくるわけには いかないのです。
 これからも カンジ・オンをリヨーした ゾーゴがされていくことでしょうが、
それを はなしことばのセカイで、うけいれカノーなテイドに おさえるために
も、かながきの カクダイは ユーコーだと おもいます。
 ハングルのばあい、きたチョーセンでは、はやくからカンジをハイシし、ダイ
カンミンコクでも カンジは ほとんどつかわれなくなりました。そこでも ニ
ホンゴからのカンジをカイした センモン・ヨーゴのユニューは カッパツです。
しかし、センモン・ショをのぞいて、それらが ハングルでかかれているために 
イミがわからなくなるといったゲンショーは おきていません。むしろ、ドーオ
ン・ショートツ(同音衝突)をさけるために イシキ・テキなクフーがされるの
で、カンコクゴ・ゼンタイが わかりやすくなるというサヨーが あると おも
います。そして、ヒツヨーにオーじて、このブンショーでもしているように、
( )をつかってカンジをおぎなっていますが、サイキンのセンモン・ショでは、
( )のなかに カンジのかわりにローマ・ジによるゲンゴ(原語)のアルファ
ベット・ヒョーキが されることもおおいようです。こういう ことばは もと
もとチューゴクゴなのではなく ヨーロッパのことばのカンジによるヤクなので
すから、そのほうがリにかなっていますね。
 ハングルのレーをひきあいにだすと、きまって「ハングルのほうが おとのシ
ュルイがおおい」などのハンロンが でますが、わたしは、いちばんのポイント
は、ゲンブン・イッチを めざすかどうかのシセーのちがいが そのまま あら
われただけだと おもっています。なぜなら、わたしが ニホンゴをおしえた 
ひとのなかには、ほとんどカンジをしらずに、リューチョーに はなしことばを
クシするオーベー・ケイのガクシュー・シャが おおぜい いるからです。カン
ジをバイカイにせずとも、ゾーゴセーブンとしてのカンジ・オンのキノーは、シ
ュートク・カノーです。
     5.カンジに たよらない ニホンゴのために
 わたしは、カンジ・セーゲンは、コッカがミンシューに カンジをつかわせな
いようにするキョーセーなのではなく、ミンシューが、コッカにカンジをつかわ
せないようにするキョーセーで あるべきだと とらえています。ですから、コ
ジンテキ・シュミのハンイで どのようなジをつかってもいいし、ショーセツ・
カが、ジブンのショーセツはゲージュツ・カツドーだから、くにの さだめたヒ
ョーキのホーホーに したがわないというのも ミンシューのジユーのなかに 
ふくめても いいとかんがえます。
 しかし、ケンリョクを もつものは、チシキをふりまわすことで、ジョーホー・
コーカイにショーヘキをもうけるようなことを すべきでありません。たとえば、
コッカイでのシンギで、かながきにして リカイできないような はなしかたを
するヤクニンやギインは、ほんらい そのシシツがないと いうべきです。そう
いう やからをツイホーするためにも、カンジのチシキをケンリョク・イジのた
めに リヨーさせないように、カンジセーゲンをすることが イミをもつのです。
 たとえば、ショーヒゼーがギャクシンセー(逆進性)が たかいといって、ヒ
ハンするひとに むかって、「あなたは、ビンボー・ニンを みくだしている。
ビンボー・ニンも ドリョクすれば かねもちに なれるのだ。あなたは じぶ
んが かねもちだから、はじめから 『ビンボー・ニンには このゼーキンは 
はらえないだろう』と きめつけて ばかにしているのではないか」などという 
ハンロンが なりたつと おもいますか? そんなギロンが(まともに そんな
ことをいう ひとは いまどき いないとおもうけれども)、だれの たちばに
たって、いっているかは メイハクでしょう。
 カンジを おぼえることは わるいことではありません。しかし、おぼえきれ
ないひとが ソートー・スーでてくることは、そのひとの ドリョクが たりな
いからだというべきではなく、ニホンゴ・ヒョーキに おける カンジのシヨー
じたいが はてしなく チシキのレベルで ひとをサベツしていくコーゾーを 
かかえているからです。そのコーゾーに めをつぶって、コジンのドリョクのモ
ンダイに すりかえるのは、ケッキョクは もてるもののロンリだと いわなけ
ればならないでしょう。
 それをショーチで、ギロンするひとも なかにはいるのでしょうが、わたしは、
そういう たちばに くみしたくはありません。
 カンジに たよらない ニホンゴのために、これから カナモジ・ウンドーな
どの ケンキューをしていくつもりです。

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1998.6.28   「自由主義史観」について

  わたしが この間、なかなかページの更新ができなかったのだが、そのおなじ時期に、「つぶやき会議室」で「慰安婦」問題に関する議論をしていたので、いろいろの憶測をよんだかもしれない。

  事情をしっているひとは わかるとおもうのだけれども、わたしは、福岡にいるときに、漫画家の小林よしのり氏への抗議と、それにつづく論争に関係し、4月に地裁判決の出た関釜裁判の支援にも多少なりともくわわったので、このテーマについては 自分がつたえられる範囲でしりうることをつたえていきたいと おもっているし、おりにふれて、考えをまとめていこうと おもってもいる。

  その小林よしのり氏たちが 所属意識をもっている「自由主義史観」をなのる グループについては、いろんなところで論じられている。しかしわたしが、このグループについておもっていることは、いわゆる支援団体のなかでは もしかしたら 主流ではないかもしれない。そこで、ここで わたしが共感をおぼえる見解を紹介することで その一端をわかってもらおうと たくらんでみた。どうか、すこし おつきあいをねがいたい。

  今回は、ましこ ひでのり氏である。このひとは、わたしが大学生のとき おなじキャンパスに大学院生として いたひとである。その著書である『イデオロギーとしての「日本」』(1997 三元社)に、『「ジユー・シュギ シカン」お めぐる チシキ・シャカイガク』という論考がのっている。このタイトルからもわかるように、ましこ氏は、自分の言語政策理論の実践例として、すべて 表音かながきで この論文をかいたのだけれども、ここでは 読者の便宜もかんがえて、漢字をふくめた表記になおして引用する。

《中略》

《中略》

  さて、ここからあとは、戦後歴史学が「日本」という わくぐみを歴史の単位として暗黙のうちに前提にし、それをうたがってこなかったこと。その わくぐみのなかでの 歴史教育であるから、いったん「日本」にたいして マイナスのイメージがつけられると でくちをみつけるのが困難な状況をつくってしまうというような意味のことが かかれているのだけれども、わたしも おおくの部分に共感する。

  ひとことでいえば、戦後歴史教育は、ただしいことをおしえたかもしれないが、その「ただしさ」をうけとめて、どのように いきていったらいいのかという といに、ろくに こたえていなかったのではないか、というのが、(むろん、注意にあたいする例外があるにせよ)わたしの感想なのである。
 
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1998.6.6   24時間飢餓体験

  なにげなしにつけたテレビでは、ソウルのオリンピック公園にあつまった こどもたちが うつしだされていた。人気歌手がつぎつぎと登場してうたっている。そして、ステージの中央には、『24時間飢餓体験』とかかれていた。

  SBSが中継しているのは、北朝鮮のこどもたちの飢餓をすくう目的でひらかれている集会である。韓国のこどもたちが、24時間、断食して、その分の食費を援助にあてようと企画してひらかれた集会だ。テレビではつぎのようにいう。

  こどもたちは、無邪気に人気歌手のステージをたのしんでいるようでもあり、テレビにうつって満足げであったりするけれども、この公園で1日をすごして、ともに飢餓を体験することは、将来、きっとおおきな経験としてのこることだろう。SBSは、この中継をしながら、視聴者が電話をかけるだけで自動的に募金ができるシステム(日本では阪神淡路大地震のときに活躍したもの)で募金をよびかけ、画面上に通話数が刻々としめされていた。そのかずは、はじまったばかりで、まだ昼なのに100万をこえていた。

  こんなことで感動するような性格ではなかったはずなのに、みていて なみだがでてきた。

  このあさのNHKニュースで、らち疑惑に関連して「調査をしたが、わがくにには、該当する日本人はいない」と回答してきた北朝鮮の要人の発言に、日本の橋本首相は「はなしにならない」といっていた。それでは、いったいどんな回答を期待していたのかとおもうのだが、かくして、日本と北朝鮮との国交正常化の交渉は暗礁にのりあげてしまっている。それとも、それはそれとして日本は人道的な援助をするのだろうか。それとも、いまの飢餓問題にたいして、援助など「はなしにならない」というのが日本政府の態度なのだろうか。

  いうまでもなく、韓国には日本と比較にならないくらいおおくの、北朝鮮との未解決の問題がある。「らち」についていえば、疑惑どころか、らちされたのちに自力で脱出してきたひとまでいる。それでも、首都から 自動車で2時間もかからないところに、うえている同胞がいるとおもえば、このようなもよおしをして、たすけようとするのだ。これに対して、日本はどうなのか。人道上の問題まで、かけひきにつかっているのは、日本のほうではないのだろうか。

  すこしまえ、軍事境界線のてまえにある、「統一展望台」へいったとき、韓国政府による「教育映画」をみた。そこでは、「北韓のふたつの顔」というタイトルで、飢餓にあえぐ すがたのうらに、軍事的な挑発をつづける、もうひとつのすがたがあることに注意を喚起していた。しかし、そういう注意をおこたらずにいなければならないとかんがえながらも、それと同時に、飢餓のこどもたちへの援助はするのが当然だというのが、徐々におおきくなってきた世論なのである。いまや、政府も、民間レベルでの援助活動をとめようとはしない。また、金大中政権になってから、韓国政府も、日本と北朝鮮との関係改善を希望するという態度をしめしている。アメリカ連邦政府も、KEDO支援などにからみ、かねてから日本に北朝鮮との関係改善を期待している。ここまで国際世論が進展しているときに、日本は自分のほうから交渉の障害をつくって ごねているようにしかみられないのである。

  国交正常化交渉のことはおいておくとしても、わたしが きになるのは、この世論の落差である。日本で北朝鮮の飢餓が かたられるとき、どれだけのひとが、人道の問題としてこのことをかんがえているだろうか。韓国のおおくの市民が、恩讐をこえて、同胞をたすけなければならないと感じるようになっているときに、日本でのこの問題のとりあげかたは、「北朝鮮はいつ崩壊するか」とか「金正日体制はどうなるか」とか、はては「第二次朝鮮戦争はおこるのか」などということばかりに集中していないだろうか。政権がどうであれ、次の世紀を、わたしたちは、このこどもたちとともに いきていくのだという自覚がさきだっていなければ、わたしたちはあいかわらず、人間を差別していることになるだろう。ソウルで断食しているこどもたちは、いまは意識していないかもしれないが、その場に参加した体験が、統一後におとずれる同年代のなかまとの、さけがたい断絶をすこしでも うめることになるだろう。そういうことに、おもいをはせるべきである。このままいったら、いったい、日本人のこどもたちは、これからの世界をどう いきていくのだろうか、ほんとうに心配になる。
  
  いま、さいわいなことに、日本はみずからの道徳性をしめすことのできるたちばにたっているように、おもわれる。それでいて、いままでのところ、そのチャンスがあたえられたことによって、かえって、和解のための方策をとらず冷戦構造によってつくられた受益の構造を維持したいという、自分かってさを世界にさらしているようにみえるといったら、いいすぎであろうか。 top メール 感想 投稿 


1998.5.30   まもる平和とつくる平和

  この20日間、世界で大きな変動がつづいた。

  インドネシアではスハルト政権が崩壊し、インドとパキスタンが核実験を強行している。

  韓国では、民主労総のストがあり、崩壊寸前と思われていた韓総連(学生運動組織)も労働者の集会に登場していたりする。スハルト政権の崩壊は、IMF体制の矛盾を示している。一方で、IMFの求める改革が進まないことへの不満、一方でIMFが押しつける民衆への犠牲への抵抗が、スハルト退陣要求へと結集したものだと考えられる。同じくIMF体制下におかれた韓国へも、この事件は心理的な影響を与えているだろう。それまで野党にいた金大中の政権がIMF管理体制によって、負担を押しつける役割を担わされている現状で、改革を財閥解体の方向へ向かわせることができるのは、民衆の抗議行動以外にないと思えるからである。

  とはいえ、とりあえずの負債を減らし、外貨準備高を回復するために、今はストライキをしているような場合ではないという国民の批判も強い。労組の指導部はどのような戦術をとるか、内心苦慮しているとも伝えられる。ここでは、外国資本が急激に入ってくるなかで、地域生活空間をどのようにまもるかという視点からの、民主的な基盤に支えられた政府の対案だけが弱者切り捨てに対抗できるように思える。今の韓国の政権は、少しでもそういう役割を果たせるか、民衆の抗議行動への新たな弾圧装置に徹してしまうかの分かれ道に立っているのではないだろうかと思う。

  ここのところ、韓国では地下水から放射能が検出されたり、地下鉄路線の上にある道路に亀裂が入ったり、O−157の患者が初めて見つかったりと、環境への不安を感じさせるニュースが多い。そして、平和もまた、世界の環境の問題ととらえれば、インドとパキスタンの核実験は、韓国にも暗い影を落とすものである。韓国のニュースでは、日本が両国の核実験に抗議するのは、核保有への選択が北朝鮮へ伝染することを恐れているからだと分析している。これは、日本の反核運動の理念をすなおにうけとれない韓国の事情もあるにはあるけれども、日本政府の動機の説明としてははずれているとも言い難い。  この少し前に、神戸港に入港したカナダの軍艦が非核証明を出さなかったこと、そうした場合、従来なら入港が拒否されていたことをNHKのニュースは伝えていた。日本の非核三原則が、外国から見て何の説得力をも持てないことを説明するのに十分な出来事だっただろう。日本政府は、非核の主張が国際的な説得力をもつための最低限の行動を、とってこなかった。それどころか、どこの国でもやっていない高速増殖炉による核燃料再処理計画に固執し、大量のプルトニウムをかかえるという、危険で合理性も展望もないことをやっている。核開発をすすめていると疑われてもしかたのないことをしているのである。そして、こんどのインドネシアの事態で、もはや当然のようにシンガポールに自衛隊機をとばし、もう少しすると、邦人救出に当たって部隊長の命令で武器もしようできることになるとのことだ。

  韓国のニュースが、「日本の抗議は、北朝鮮への核保有の連鎖反応を恐れるから」と解説するのは、韓国も核兵器を持つべきだという、一部に根強い世論に遠回しに関連づけているのだと、わたしは思う。公の放送では、そのようなことを言うわけにはいかないのが韓国の立場である。実際に、韓国はそのような重大なことを米軍にことわりなしにすすめることはできない。そこで、直接語ることができない思いを、日本に仮託して示唆しているのではないだろうか。このコメントは、想像以上に、韓国のナショナリズムを刺激するものになりやしないかと心配である。

  政権がものごとを動かしたり、政権そのものが動くようなニュースに比べ、市民的な平和をつくる運動は、伝えられにくい。だが、日本にいてはよくわからないことだが、韓国のニュースでは、一方で、北朝鮮との平和的な関係をめざすいろいろな試みもさかんに伝えられる。民間団体の接触もすこしずつ広がっているし、食料支援をしようとする運動も活発だ。休戦ラインで寸断されている鉄道をつなごうとする動きも、ソウルから金剛山まで高速道路をつくる構想もある(これらは、政府と距離をおいたところで接触が図られている)。
  日本に対してもそうで、軍国主義復活への警戒もするけれども、若者たちの交流には大きな期待をよせながら報道を欠かさない。韓国選手が進出を果たした日本のプロ野球の中継により、日本の野球事情はかなりくわしく知られるようになっている。あるいは、韓国では投獄されたこともある有機農法の創始者が、今や新しい農法をめざす日本の農家を指導していることなどが報じられる。関釜裁判の下級審の判決で、元「慰安婦」に30万円の賠償を命じる判決が出たことが、原告の怒りにもかかわらず日本での報道以上に「画期的判決」だと伝られたりする。映画『プライド』についても、それに抗議する日本人の姿を含めてテレビに映している。そういう、政府間の関係とは趣を異にすることが、韓国ではこまかく報道されている。そして、多くの韓国人が、あたかも膠着した政権同士の隔絶をうめようとするかのように、政権と相対的に離れたところでのつながりに期待をよせているのである。

  だから、問題なのは、「親日」とか、「反日」とかいうことではないのだ。今まで繰り返し言ってきたつもりのことなのだけれども、信頼関係をつくること・核に頼らない政策を追求すること・民衆の自立した生活空間を成り立たせること・身体をとりまく安全な環境を確保すること、それが、平和をつくる運動である。そういう立場に立って国境をこえて手を結び、活動していくのか、それらの価値を軽視して、「国益」と称する既得権を守るために、他者に犠牲をしいてでもより強い力によりかかって生きていこうとするのかが、問われている。

  いつのまにか、日本でわたしたちが「平和をまもる」というとき、後者を指すようになってしまってることに危機を感じざるをえない。そして韓国は、いま、分かれ道に立っているようだ。だが、そこには日本とちがって、あたらしくうまれた平和をつくる動きが息吹いている。平和をつくる運動が、連帯をもたらすのである。逆に言えば、いまある自分たちの姿を問わないで一方的に相手を敵か味方かと区分していくような発想でいる限り、この間の世界の出来事は悪い方向へと連鎖を続けていくのではないだろうか。
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1998.5.10   おじいさんとの会話

  5月8日は、,お+,ポいなl】つまり、「両親の日」である。これは、欧米の「母の日」の習慣が変形して、政府が制定したものである。,お+,ポい】は、,お,もに】(母)とあ+,ポ+チ】(父)の混成語で、この日のために作られた言葉だそうだ。

  この日、夜9時をすぎて、「学院」に70歳のおじいさんが訪ねてきた。日本人と話がしたいという。自分が日本語の講師だというと、流ちょうな日本語で、自分の話をしだした。できれば、ここで授業を受けたいという。

  韓国で暮らしていると、不定期にこのような体験をする。そういう場合に聞く話もだいたい同じである。……と、ここまで読んで、「植民地時代の恨み辛みだろう」と想像した方もいるかもしれない。事実はちがう。日帝時代の教育を受けた自分が、解放後その教育を否定され、アイデンティティーの危機にたちいたったことを遠回しに訴えるのである。

  このかたは、すでによっぱらっていたのだが、典型的なケースだった。わたしに「ここにすわりなさい」と命令する。歳が若いから見下しているのではない。この時代の教育を受けた人たちは「なさい」という命令形式しかしらないのだ。常にそう言われ続けて、骨身にしみている。日本語が不自由なく話せるだけに、「〜ください」ということばの空白が生々しく感じられる。そして彼がわたしに見せたのは、履歴書だった。どう見ても50年は前の茶けた写真をつけた履歴書。そこには、彼がかつて教師をしていていたこと、朝鮮戦争に参戦し、国から表彰を受けたことなどが書かれていた。

  彼はわたしの学歴をたずねた。何か、自分が韓国人でありながら、日本でも通用するはずの(それはたしかに日本の)学歴を持っていることを確認するかのように。そして、「でも、日本語を使う機会がなかった」とさかんに訴える。そして、わたしに、自分の日本語がおかしくないかとしきりに聞くのである。わたしは、「いえ、わたしより上手です」というほかなかった。それは、今のわたしが今の日本語と引き比べて評価できるようなものではなく、「もうひとつの日本語」としか言い様のないものなのである。
  解放後、それまで頼みにしていた自分の学力の価値を失った彼にとって、朝鮮戦争で戦うことは、ようやく国家に認めてもらえるチャンスであったにちがいない。そのときの、すでにそれからも40年以上たっている表彰の記載のある履歴書を持ち歩いているこの老人を前にして、わたしは痛々しさしか感じられなかった。

  世の中には、こういう老人との出会っても、その人たちのことばの表面しか理解できずに「韓国は反日意識がつよいと聞いてきたけど、親日派もいるんだな」などという感想をもらす旅行記の類がある。とんでもない話である。わたしは、単純に過去の日本の蛮行を糾弾する韓国人(これもめったにお目にかかれるわけではないが)よりも、こうした老人と話すほうがおそろしい。そして、こればかりは逃げ出したくなる感情がおさえられない。人生の草創期にボタンのかけちがいを強いられたために、その傷をずっと背負ってしまっているのだ。悲惨としかいいようのないこういう老人を生んだ責任の一端が戦後の韓国社会にあるとしても、もっと根本の原因が日本にあることは疑いないからである。

  日本語の受講はていねいにお断りしたが、わたしは自分の祖父のことを考えて暗澹たる気持ちになった。母方の祖父は軍人だった。彼も、自分の過去が誇れるものではないことをほんとうは知っていたのだろうと思う。ただ、それ以外にしがみつくものを持たなかったし、持てなかったであろうことはわたしにも想像できる。だが、この日に会った韓国人の老人とずいぶん前に亡くなった祖父が、新しい出会いをもてるような戦後社会の構想は不可能だったのだろうか、などと考えてみた。答えはみつからない。
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1998.5.3   再び、「国語」と「日本語」問題について

  3月15日の記事「国語」「日本語」の用語について述べた。わたしはその時、日本語を諸言語の中のひとつとしてみる、一般言語学や「日本語学」の立場を強調し、「国語」教育も「日本語学」などの影響を受けて変わっていくことが望ましいと考えていた。

  この認識には、今でも変わりがない。ただ、この問題について「日本語」教育に携わる人が多く集まる場所で訴えたのにもかかわらず、ほとんど反応がないことの理由を考えているうちに、あることに気がついた。この問題に反応してきたのは、[在日]メーリングリストの参加者で、「国語」「母国語」「母語」「第一言語」の4つの引き裂かれを意識せざるを得ない立場の人だった。また、この問題について市民運動を展開している人たちは、送られた資料を散見する限り、天皇制への問いを発する日本人のグループのようである。どちらも、「日本」という国の枠組みと「日本人」「日本語」の同一性に疑問を持ちうる立場だったのである。


  わたしは、「日本語学」が、「国語学」と同一の対象を扱っている以上、相互の批判があるのが当然だし、その中で、「日本語は古代から一本の糸で連なる民族(祖国などと言う人もいる)の言葉だ」などという明らかなウソは克服されていくものだろうと楽観していた。しかし、事態はそうではないらしい。

  大学の「国語国文科」「日本語日本文学科」の比率は後者の増加で半々に迫り、新設校ではほとんど「日本語日本文学科」を名乗るという。『イデオロギーとしての日本』(ましこ ひでのり・三元社)p.28しかし、その理由は、単に留学生をたくさん受け入れるためというようなことに過ぎないようなのだ。

  なぜそう思えるかと言うと、最近、あるメーリングリストで、「母語」「母国語」という二つの用語の使い方について議論がなされたのをのぞいていたのだが、

という意見が、平然と書き込まれていた。「国」が好き、嫌いの問題ではなく、「国」と「言語」が一対一に対応しないということが問題であるにもかかわらずである。もし、「国」「国家」ととらなくてもいいと言うのであれば、アイヌ語も「国語」と呼ぶべきだということにすら、この発言者は気づいていないようだ。さらに言えば、「母国語」という言葉を使う人が方言を指してそういうことなど、まずありえないという事実にも目をつぶっている。言葉について議論する場にわざわざ参加するぐらいの人でもその程度なのである。しかし前掲載書によれば、学術機関の出している国語教育辞典でも、

  • 日本人に対してその母国語である日本語の教育をすることを国語教育と言うことができる
  • 国語教育が対象とする言語は自国語であり、学習する者の生活言語であり、思考言語である。
  • などとあるそうだから、日本語が日本人以外に対しても「国語」として教育されていることも、日本に住んでいる日本国籍保持者にとっても、日本語が生活言語であるとか、思考言語であるとか言えない場合があることを考えもしていないのだろう。また、ここでも、本当に「生活言語」である方言を育てはぐくもうなどというつもりがないことも現実に照らして考えてみれば明らかである。


      元来「国語」教育が、実は東京の話し言葉をもとに作られた書き言葉を、地方の言葉の話し手に話し言葉としてまでも押しつけるものであったことは明らかである。明治の国民国家形成の過程で、森有礼が、簡略英語を新しい日本の国家語にしようと主張したことは有名だが、その主張の珍奇さも、実際にその時期にされていったことの暴虐性を思い起こせば、それほど珍奇でもない。いかんせん、外国語のようなことばを「国民」全体に押しつけていったことじたいに変わりはないのである。
      そして、この「国語」”押しつけ”教育は、日本の領土とされた地域の少数民族へ、植民地へ、軍事占領地へと広げられていった。「日本語教育」が最初に意識されたのはその時期だったのである。そして、「日本語教育」が日本の領土からも出て行ったときに、「母語」ということばが最初に使われている。植民地台湾・朝鮮では、「国語」と呼んで日本語を押しつけたので、日本語に対し、そこに住む人々のもともとの言葉は、「地方語」「民族語」などと称されることが多かったようだ。その場合でも、日本語教育の矢面に立たされた言語教育者たちの間では、「母語をもつものに対する国語教育」という表現がされていた。当時の状況を考えてみれば、こうした立場の執筆者たちがこの文脈で「母国語」と書かないことは当然であろう。
      ここでわかることは、「内地」植民地では一貫して「国語」=日本語=「母国語」という認識を徹底させ、そのイデオロギーの妨げにならないようにという目的で、「母語」という用語が使われたこと、そして、日本語が「日本」の領域をも越えてさらに広がっていこうとしたとき、「日本語」「日本語教育」という用語が、生まれたということである。このような、膨張主義と植民地主義を兼ね備えた構造の中での「日本語教育」は、本国での「国語教育」と概念的に衝突する危険はなかった。それは、これから占領する地域と、すでに占領した地域の違いを表し、そのことに伴う必然的な内容の違いだけを意味したからである。


      どうも、最近になって「国語」に変わり「日本語」が用いられるようになった背景には、この時代の記憶と重なり合う面がないわけではない。もちろん、時代も状況も違うし、わたし自身も今の段階で、一貫して生活言語・話し言葉を鋳型にはめ込むようなことをしながら、一方では現在の地理的なバリエーションよりもさらにかけ離れた古典文学を同じ「日本語」であると強弁し(それができるのなら、なぜ、アイヌや琉球の民衆の文学に触れないのか)、解釈までも強要するような「国語」教育を相対化するために、「日本語学」の手法が導入されることを望んでいる。しかし、前回の記事で触れた大阪の小学校での事態のようなことに日本語教育界全体が無関心でいられるとすれば、それは、自己膨張主義の上に乗って「日本語」「教え込む」ことには熱心でも、自分たちがそれによって育てられた「国語」の内部に、それを「母国語」であるとすることから来る歪みがあっても口を閉ざすことであり、最初は相手の「母語」を尊重しても、次には「母語」存在することも認めない「破廉恥」言語帝国主義論分類試論・ヤマダ カント)で、弱い者への差別的態度というしかないだろう。

      「日本語学」が、かつてのような文化侵略の片棒を担がないように自戒することは、やってもやってもしすぎることはないと思うが、事実は、かなり危ういところまで来ているのかも知れない。わたしは、その分界線は、「日本語学」「国語」教育に向かって、単一民族神話を解体する方向で働きかけることができるかどうかというところにあると、思っている。この二つが、互いに口出ししないようなあり方で背中合わせで共存するような事態が続くとすれば、学問の堕落のみならず、植民地主義の言語政策の復活に寄与することになることだろう。        top メール 感想 投稿 


    1998.4.26   私は自衛隊に救出されたくありません。

      新ガイドラインと呼ばれる、日米の政府間での約束に基づく脱法的な「防衛」政策指針が固まり、数日前のニュースによれば、「邦人救出」を名目にした自衛隊の出勤にあたり、「正当防衛」であれば武器の使用が認められることになるそうだ。

      どうせ、法律の拡大解釈に次ぐ拡大解釈でそうなるのだから、ばかばかしくて、それが憲法違反だなどと言う気も起こらないが、しかし、やはり、このことははっきりさせておかなければならない。
      他国に誰が見ても「軍隊」と違わない部隊を派遣し、武器の使用を認めることが、交戦権の行使でないはずがない。そして、どんな理由であれ、日本政府の統制権を保ちながらそんなことをすれば、侵略である。

      わたしは、今、世界でも有数の軍事的緊張下にあると言われる(普通に暮らしていたらそんなことは全然感じないが)南北朝鮮の休戦ライン近くに住んでいる。もし、戦争が始まれば、一番先に戦渦にまきこまれる場所である。しかし、そんな事態が起きたとしても、私は、日本の自衛隊に来てもらいたいとは思わない。私がここに住んでいることが、自衛隊派遣の名目になるのだったら、私は、侵略の尖兵として利用されることになってしまう。そんなことだけは、ご免だ。

      もし、ここで戦争が起きれば、日本人だけが被害を受けるなどということはありえない。この国の、同じ民族どうしが傷つけあうのだ。そんなときに、日本人だけを助ける目的で自衛隊の艦船がやってこられるわけがないではないか。新ガイドラインの本質は、そんなことではない。これは、明らかに、米軍の作戦に自動的に日本の官・民・軍が従属させられることなのだ。韓国が日本の軍隊の上陸を拒否しても、韓国に駐留する米軍が自衛隊を引き連れて戦争を遂行することができる、その名目が「邦人救出」なのである。だから、「邦人救出」の事態とは、日本が第二次朝鮮戦争に参戦するということに他ならない。そんなことになれば、戦争は収まるどころか、間違いなく泥沼化する。その結果がどうなったとしても、日本は南北を問わずこの国に住む人々の気持ちを修復不可能なところまで傷つけずにはおかないだろう。どんな名目であれ、日本の軍隊がやってくれば、韓国国軍は北と休戦して日本に参戦しなければならないと考えるのが、ごく普通の韓国人の思考であることを忘れてはならないだろう。日本の「参戦」は、むしろ「北」の正当性を実証する結果になるのだ。

      たぶん、戦争が現実的かどうかが問題なのではないと思う。このような、軍事に寄りかかった政策が採られることが、平和共存・相互理解・相互援助・対話と協調などという、少し前なら日本では疑問の余地のなかったはずの(しかし常に政権によって内実は骨抜きにされていた)立場が公然と否定され、そうした方向での努力が、価値のないものであるとみなされるような風潮が作られることがこわいのだ。

      世界中で日本人だけが外国で被害を受けているわけではない。「危機管理」が足りないなどという人がいるが、危機管理のための手段をとりうることが、すでにして世界の中で特権的な立場に立っていることに気がつかなければならない。「危機」が発生している国では、日本の資本ように経済力をもって進出してくる力によって生活基盤を破壊されても、それに対抗する術がなく、自分たちのつつましやかであっても自立していた生活までもが、世界市場経済の一番下の部分に組み込まれていってしまう過程が進行している。そこで生じている問題を解決しようとするのではなく、目をつぶり、抵抗の一番極端な形であるテロや誘拐などをクローズアップさせては、自分たち日本人が一方的に「被害者」であるようにしたて、暴力による解決を正当化する。そういうことの積み重ねの上で、日本国民が「正義の侵略」を肯定する日がこないことを願わずにはいられない。

      自分にできることは少ない。このような場の影響力がどの程度かも知れているが、せめて重ねて、言っておこう。

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    1998.4.12   気分的な横並び

      KNTV(韓国総合放送)で放映されているドラマを見ていたら、ある登場人物が、ナイフで女性を殺そうとしている場面で、そのナイフのところにスクリーンがかかっていた。日本に向けての放送なので、そのようにしたものと思われる。

      日本では、希望した視聴者しか見ない有料の番組で、どうしてこのような措置がとられなければならないのだろうか。ナイフを使った少年の犯罪が目立っているからと言って、テレビの画面からナイフを消すことにどんな意味があるのか、わたしには理解できない。それはたぶんに気分的なものだといわなければならない。

      子どもが、テレビを見てまねをするのだとしたら、犯罪のニュースは流せなくなる。たしかに、世間が騒ぐから自分も同じようにやってみようという心理が働くことはあるかもしれないが、だったら、「ナイフ」「ナイフ」と、やたらと騒ぐことじたいがマイナスのはずではないか。

      日本では、ナイフのカタログ雑誌のような本を店頭からとりのぞく店が増えたり、そういうことを推進しようとする一方的な主張がテレビのバラエティー番組などからも飛び出しているようだ。果たして、過去に比べて少年の凶悪犯罪が増加しているのかどうかさえ、冷静に調べようともせずに。

      「残酷」なシーンの映像だけを隠すことに意味があると考える人は、制作者の中では少ないのではないか。むしろ、今の社会の雰囲気を察して、もめ事が起こらないようにと、自主規制しているのだと思う。ただ、そんな簡単なことで、表現が実際に規制されることの方が、わたしにはおそろしい。

      韓国でも同様のことはあるだろう。すこし離れて見ると、そのおかしさに気がつくはずだ。
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    1998.4.5   『甲論乙駁』

      iTV(仁川放送)作成の番組で、『テーマ激突60分−甲論乙駁』というのがある。いわゆるディベート番組で、毎週、違うテーマで、賛成・反対に分かれて4人ずつぐらいが討論をするのを視聴者に見せている。

      今までのテーマは、「テレビの番組中間CMを認めるべきか」「小中学校の男女混合授業を拡大すべきか」などであった。
      日本でも、最近同様の番組が増えているようだが、全体的な印象は、こちらのほうが、おとなしく、紳士淑女的(?)に議論しているようだ。それに、日本のようなディベート専門の学者タレントはおらず、毎回、テーマに関係のある専門家や企業団体の代表や、市民団体の代表が出ているようだ。つまり、討論を聞く限り、ふつうの人どうしという感じである。

      今回のテーマは、「国産品愛用運動の拡大について」。

      正直言って、こんなテーマで賛成・反対が公平に議論できることに、私は驚いた。それほど、「IMF時代」突入後の韓国の街の中の雰囲気は、「外国製品を使うのは国賊」という感情に包まれているように思われたからである。

      しかし、この番組を見る限り、国民の意見も、必ずしも一様でないことがわかった。一方が「愛国心」を旗印にするのに、「国産品だけが無条件にいいというのは国粋主義だ」という批判も飛び出し、一定の支持を得ていたのである。

      「輸出で産業が成り立っている以上、自国の市場を開放しないで、輸出だけしようとするのはとおらない。忠清道の人が忠清道の産品だけ買う運動をしたら、他の地域の反目を買い、結局国全体の経済が沈滞するのと同じ理屈だ」と、経済研究所の学者は言う。それに対し、「それは、アメリカが言うのと同じ理屈だ」と、国産品愛用国民運動推進本部の役員が反駁する。その役員は、「日本では、アメリカに市場開放を迫られて、政府自らアメリカ製品を買うように宣伝したが、あまり買う人は増えなかった。それに見習うべきだ」という。

      それに対し、外資系会社の役員は、「そのように、国産品愛用運動などを起こさずにいることと、それを国民運動として展開することの差が、日本と韓国との国際経済のなかでの信頼度の差になっているのだ」と指摘する。

      この欄で何度か指摘したことだが、ここでも、各者が自分の立場に都合のいいように「日本」を議論に利用している。そして、注目すべきは、どちらも「日本」もそうなのだから、韓国もそうしなければという方向で、「日本」を持ち出していることである。いわゆる「反日感情」の裏には、一皮めくるとこういう面があることは見ておくべきだろう。

      それはともかく、この国の議論の質が、公共の場でも、もはや一色に染められるようなことがなくなったということは確かなことだ。今や、サッカーの韓日戦でさえ、川口や中田のファンが日本選手のバスを取り囲むのだ。そんな多様性の中でこそ、ほんとうの民族や国家の主体性も鍛えられていくのだと思う。
      心配なのは、ことあるごとに引き合いに出される「日本」が、実は手本としては心許ないことなのだが。  top メール 感想 投稿 


    1998.3.29   金メダルだけが 

      YTN(韓国のニュース専門TVチャンネル)をなにげなしに見ていると、「韓国人はどうして金メダルにしか価値を認めないのか」という特集をしていた。

      長野オリンピックで、韓国は金メダルを3個獲得したが、銀・銅は、あわせて3つ。結果もまた、「金」重視の現れなのか。
      興味深かったのは、韓国のテレビが、「金」にしか目がいかない韓国人たちのふるまいが、世界の他の国の人から見て、極めて異常に見えるという点を徹底的に明らかにしていたことだ。

      たとえば、「銀」に落胆している男子ショートトラックの選手の姿を映しだし、みっともなさを強調する。別の銅メダルの女子選手が、表彰式で全くうれしそうにしないので、優勝したカナダ人選手がけげんな顔でその選手を見るシーン。アトランタオリンピックで、ハンドボールの決勝を応援に行った国会議員たち(試合中は、ゲームを見ずにカメラを意識していると指摘されていた)が、敗戦が決まると、表彰式も見ずにコメントも残さず集団で帰ってしまう姿。バルセロナで、日本人に柔道で負けた選手が、礼もせずに退場してしまったシーン。果ては、ボクシングの判定におこって、コーチともども乱闘をおこした韓国チームの姿。長野からの帰国記者会見では、「金」メダル獲得選手しか出席していなかったという事実。
      これらは、リアルタイムで見ていては、その醜さに気づきにくいものだろう。時間をおいてみて、韓国人もその姿が尋常でないことに気がついたのではなかろうか。

      ニュースの特集によると、このように「一等」だけしか価値を認めない風潮は、「第三共和国」時代に作られたという。つまり、朴正熙政権の初めの頃からである。こうして、一度刷り込まれた意識は、なかなか消えない。子どもたちの競技会での親の態度にも、それは現れ、本人としてはどんなにいい結果を出していても、一位になれなかったといって泣く子どもがいるという。

      「勝ち」か「負け」しかないというような極端な考えから、免れている例として、YTNは、ソウル大学の野球部を取材した。日本でも東大の野球部はマイペースだが、それは韓国でも同じこと。めがねをかけた部員も多い。インタビューを受けた部員は、「わたしたちはアマチュアですから、勝利至上主義でないんです。延世大や高麗大の野球部員とは違う」といっていた。もっとも、ソウル大の学生は、野球に勝たなくても勉強で「一等」をとったのだから、どれだけ説得力があるかはわからないが。

      最後は、長野のスピードスケートで銅メダルをとった日本の岡崎選手が、一位、二位のカナダ選手の二倍くらいうれしそうな顔をして表彰台にあがり、会場の拍手を浴びている姿を紹介し、韓国との違いを訴えた。そして、韓国のマスコミが、金メダルの数で、国別ランキングを出しているのに対して、長野オリンピックの公式記録では、メダルの総数が多い順に表が作られており、韓国は、金メダルがとれなかった中国よりもかなり下になることも指摘する。

      ここまでやれば、さすがに韓国人の視聴者たちも、少しは考え直すんじゃないかと思えるくらい徹底した特集だった。とはいえ、こういう国民性は根が深いから、簡単には改まらないだろうけど。

      わたしは、こういう「金」重視の風潮がなぜ、どのようにして、作られたのかもう少し知りたい気がする。
    ときどき、韓国人の国際意識には、「韓国」と「外国」の二つのカテゴリー、あるいは、それに「日本」を加えた三つのカテゴリーしかないんじゃないかと思えることがあるのだけど、それが昂じると、(「外国」はすべて敵だから)優勝するか、あるいは、「日本」に勝つかしなければ、勝ったことにならないということになるのかなと、想像したりする。

      それから、思い出したのだけど、数年前、日本で、韓国人の男の留学生に「日本では、金メダルをとらないと、選手があやまるそうですね。韓国のテレビでそう言っていました」と言われたことがある。
      かつてそういうケースもあったかもしれない。とりわけ優勝が期待されていた何人かの選手の中には。しかし、韓国に比べたら、そんなことは、日本では圧倒的に少ないし、本人がどうであれ、マスコミは銀メダルでも健闘を讃えている。しかし、その韓国人は、というより、その韓国人が影響を受けた韓国のマスコミは、日本の例外的な事例にとびついて、そこに韓国を投影してしまったのだろう。韓国の「日本」理解によく現れる歪みのパターンの一つである。わたしがここまでの記述で「日本」に「」をつけてきたのは、そのためだ。自己正当化のために利用される「日本」。

      そんなことを考え合わせても、このYTNの特集は、よくできていた。自己批判する能力がないと、どんな人間も、集団も、そして、とりわけ国家はダメになる。こんな番組が増えるのはいいことだと思う。
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    1998.3.28   日本と同じ道を 

      日本語教師を始めた頃、日本に来ていた韓国人留学生は、よく言ったものだ。

    少しして、私が韓国に来たときには、どう聞いても歌が上手とは言えないアイドルグループが、女の子たちにキャアキャア言われていた。(もちろん、そのときも歌の上手なアイドルもいたし、今もいる。)

      日本に帰って、福岡で教えていたとき、韓国人留学生は言った。

    「日本のがっこうに、いじめがあると聞いて、びっくりしました。私たちの国では考えられません。」

    そしてまた、韓国に来た私は、国じゅうが「学校暴力」追放のために躍起になっている姿を目の当たりにしている。

      韓国では、つい先日、ソウルで女子中学生が集団飛び降り自殺した。日本でそのようなことが相次いだのは、つい2年ほど前のことだっただろうか。

      そして、今、日本ではナイフで他人を傷つける子どもたちの問題が発生している。

      悪いことは伝染するのか。悪口は、自分に返ってくるということか。しかも、伝染のスピードは、昔に比べて、確実に早くなっている。              top メール 感想 投稿 


    1998.3.22   前安企部長の自殺未遂騒動 

       釜山に遊びに行った。土曜(21日)の朝、6時に東部ターミナルについたので、地下鉄で隣の「温泉場」駅まで行き、温泉に入った。ゆっくり風呂に入り、長椅子に横になり、眠りかけたころに、辺りが騒がしくなった。何かと思うと、テレビの速報で、「権寧海氏が自害」とのテロップが流れる。

       権寧海氏は、前の安全企画部の長官、つまり安企部長である。この人物は、この日まで、検察で「北風工作」に関連して取り調べを受けていた。「北風工作」とは、去年の暮れの大統領選挙の時期に、野党候補であった金大中氏が不利になるような情報を意図的に流す工作をしたということである。この時期にあったことは、わたしもこの欄にいくらか書いているので、「遺跡」を参照してもらいたい。とにかく、「夫婦スパイ団」が摘発されたり、韓国の社会学を代表する教授が逮捕されたり、尋常ではない雰囲気に包まれつつあった。

       新聞によると、現与党が安全企画部の資料を調査した結果出てきた話として、次のような筋書きがあったらしい。

    金大中氏が大統領に当選し、そういうことが明るみに出てきた。現野党は、それを「政治報復である」と非難することで防戦しているが、真相究明には賛成せざるを得ない状態である。そして、最近になって、安企部が直接「北」の高官と接触し、大統領選挙に影響を与えるために何か事件を起こすように働きかけたという疑惑まで浮上した。そんななかで、取り調べを受け、当日に起訴される予定であった前の安企部長が、取調室のトイレをこわし、破片で割腹し、自殺を図った。しかし、すぐに病院に移送され、手術を受けたので、命に別状はないようである。

       釜山の温泉にいた人たちは、にわかにテレビに釘付けになった。その段階では大したことはわかっていなかったのだが。ただ、自殺を図ったこの人物に同情する人は見あたらなかった。釜山は、前の大統領の地盤で、去年の大統領選挙では金大中氏の得票率がとりわけ低かったが、そのことは住民が保守的であることを意味しない。もともと、大きな反政府闘争の舞台となった都市である。一度訪ねた時の印象では、光州のほうが、精神に沈殿した生活意識の保守性を強烈に感じた。この「保守性」が、従来の与党を支持するということでは全くないのは、言うまでもないのだけれども。今後、地方自治が進み、都市や地方が独立した力を持つようになると、今まで表に出なかったこうした性格の違いが形になって現れてくるかもしれない。                       top メール 感想 投稿 


    1998.3.15   「国語」⇔「日本語」問題によせて 

       フロントページでも案内をし、新しい掲示板まで作ったので、大阪府豊中市の小学校で起きた教科名の「国語」⇔「日本語」問題よみかえ問題にわたしが関心を持っていることはご存じだろう。

       「国語」⇔「日本語」問題は、とりあえずは、小学校教育の問題だが、資料を読んでいくうちに、この問題をことさらとりあげた『産経新聞』には、「国語」に対する明確なイデオロギーがあることがわかる。
      昨年の12月28日付 産経新聞 「主張」(社説)には、 次のように書かれている。


       言語学者の田中克彦氏は、「国家語」ということばを使って表現しているが、「国語」なるものが、民族の生活に根ざした「自然」の生成物のようなものではまるでなく、近代国民国家の形成の過程で「国家」のサイズに合わせてかなり強引に形成 されてきたものであることはまちがいない。

       「自分たちの生まれ育った国の言語」と言いながら、方言を 「矯正」してきたのが「国語」の授業である。「感情の機微に応じた細やかな使い分けや、母国語に秘められた文化・伝統を 学ぶ」という言い方の裏には、日本人の感情は日本人にしかわからないものだという差別意識がありはしないか。さらに言えば、沖縄の人、アイヌの人は、自分たちのことばを捨ててヤマ トのことばを理解して「一人前」なのに、ヤマトの人はこうした中央にない言語の文化を理解しなくても平気でいられる。そういう意識がありはしないか。

       「感情の機微」という感情的な言葉が、実は表現力の欠如の言い訳でしかない場合も多い。いったい、特別に「国語」として学ばなければわからないような「機微」にそんな価値があるのかどうか、ちゃんと検討する必要があるのではないか。あまり に多くの小説が、男性の立場からだけ書かれている。女性の登場人物は、男に投影された勝手な女性像でしかないと指摘するフェミニストの研究もある。「機微」を理解しろと言うことは、 女子学生に主体的な価値判断をさせず、男の立場から女を眺めなおす訓練を強制していることになる

       「外国語の授業と変わらず、いったい、どこの国の授業か分からなくなる」。けっこうではないか。外国語の授業から人間の美しい心を学び取って何がいけないのだろうか。「感情の機微」も「文化・伝統」も外国にも当然あり、それを外国語から学び取ってはいけないのだろうか。「国語」の授業だけにそれを期待し、それが可能だというのは、見当違いだ。一方、今ま で「国語」教育の名の下にさんざん教え込まれてきた「文化・伝統」とは何なのか。明治以降、国民統合のために作られてきた伝説(作られた伝統)の類が、今も「日本の文化・伝統」だと錯覚されている。 だから、それが理解できないと、落第点をとらされるのである。わざわざ「国語」として教育されなければ修得されないような「文化・伝統」は、すでに文化でも伝統でもなくなっているか、もともと文化でも伝統でもなかったものである。

       「日本語」が「国語」のカラにとじこもり、日本国籍の日系日本人だけのものだなどという傲慢な考えとうらはらの、 「自分たちにだけわかればいい」式の「細やかな使い分け」 を自画自賛して満足するような態度が、言語文化を衰退させていることに気がつかないのか。外国人の研究家が、客観的 に日本の言語文化をながめて、鋭い指摘をすることは、ままある。「国語」が、世界の中ではあまたある言語の中の一つ にすぎない「日本語」でしかないという厳然たる事実の前で も、学びがいのある言葉でなければ、残念ながら「日本語」 自体の価値が衰退していると言うことになるのだ。「国語」 にこだわるということは、それだけ「日本語」に自信がないということの表明である。

       外国人にもわかる日本語を使う。むしろ、これを目標にしなければならない。このことを言うと、何か、「正式なほんとうの日本語」を放棄しているように感じること自体が、すでに「国語」の神話に毒されている証拠である。外国人にもわかる日本語で、日本語の言語文化の「機微」も「細かい使い分け」も語られなければならないのだ。そうでなければ、 ほんとうはそんなものに価値がないのに、ひとりよがりをしていることになる。しかし、失望することはない。すぐれた日本語の作家たちは、「国語」教育によって、自ら「機微」 を感じ取る能力を失った日本人に変わって、日本語を母語と しない人々の読者の心をを確実にとらえつつあるのだから。蛇足だが、そうした作家たちが、時には日本国籍保持者でないことすら、まれではなくなった。

       ここで書いてきた立場のようなものは、ヨーロッパの多くの国のような多言語国家では、わたしなどが書かなくても、あたりまえのことなのだと思う。そもそも、そういう国に「公用語」はあっても、「国語」はない。中国でも、日本人は「中国語」と言うが、中国では公式に「中国語」とは言わない。一般に「中文」であるが、公式には「漢語」であるはずだ。「国語」と言ったら、多民族国家のたてまえが崩れるからである。台湾で「国語」の名で学ばれているものが生活言語ではなく、「北京語」であることが、この言葉の意味を端的に示している。それは、台湾政府の成立のしかたにまつわる特殊性の反映なのである。

       一方で日本に「普通の国家」になれとしばしば言う新聞は、世界的に見て極めてまれな、日本の言語政策を墨守する立場であることが、ここで知れたわけだ。         top メール 感想 投稿 


    1998.3.8   林巨正と洪命憙 

       SBS(ソウル放送)の大河ドラマ、『林巨正』はかなりの人気らしい。KNTVでも日本語字幕入りで放映しているから、日本でもある程度、知られているだろう。
       林巨正は、【いm*,こk*,チょ~】と発音される。豊臣秀吉による侵略がおこる30年ほど前の朝鮮で民衆蜂起を起こした義賊として伝えられる。このころ、倭寇(日本では「和冦」)も激しかったようだが、国も乱れていた。王侯貴族たちの民衆からの収奪も極限にまで達し、一方、腐敗も広がっていたから、国からみれば盗賊の頭である林巨正に従った民衆も多かったのだろう。

       秀吉の侵略も、そういう背景があったから、最初の時期、どんどん軍をすすめる結果になったのだろうと考えられる。当初は、李朝への反感から、日本に味方する者まで現れたという記録がある。そして、秀吉の軍勢から国を救ったのも、国の正規軍ではなく、民衆の不服従と地方の両班が自力で組織した義兵闘争だった。かの李舜臣でさえ、もともと下級の軍人にすぎない。戦功をあげたから将軍と呼ばれるようになったものの、いったん秀吉の軍が帰ると任務をはずされたりしている。

       さて、『林巨正』の原作は、碧初・洪命憙【,ピょk.`ちょ .ほ~,みょ~ぃ】という作家(「碧初」は、洪命憙が名乗った「号」)の小説である。この作家は、下の記事に書いた崔南善【`ちぉぇなm,そn】、春園 李光洙【い〔り〕+クぁ~.す】とともに、早くから「朝鮮三才」と呼ばれ、韓国近代文学の祖と言ってもいい人物であった。しかも、彼は、前の二人のように「親日作家」と呼ばれることはなかった。日帝時代は社会主義思想団体に関係し、その後、左右の共同戦線体である新幹会の実質的な指導者として献身的な運動をして、投獄された。
       このような経歴の作家が、韓国で崔南善や李光洙ほど省みられないのは、一つの理由しかない。解放後、この作家は、「民主独立党」という中道政党を組織したが、李承晩らによる南朝鮮単独選挙の動きに反対して、何とか分断を避けようとして開かれた1948年の「南北連席会議」に出席したのを期に、北にとどまったからである。この会議は4月平壌で開かれている。4月3日のチェジュ島蜂起のさなかである。そして、南の単独選挙はチェジュ島を除いて5月10日に強行され、8月には大韓民国、9月には朝鮮民主主義人民共和国が成立し、分割占領が分断国家へと固定化されていった、そんな時代のことである。

       この「南北連席会議」には、今でも韓国独立のシンボルである白凡 金九【ぺk,*ポm  きm+.ク】も出席している。金九が、李承晩とあれほど対立しながらも、韓国民衆の人気が不動であるのに洪命憙が長らく忘れ去られていたのは、金九が南に帰って暗殺されたのに対し、彼が「北」に残り副首相にまでなったからだろう。


       現在、日本で「北朝鮮」といえば、だれしも、共産党による独裁国家だと思う。実際そうなのだろうと、わたしも思っている。しかし、その成立の時期に限って言えば、北の共和国は、それまでの来歴から考えて共産主義者とは思われないような人物や、南朝鮮を代表する人物を国家の高い位置にすえて、民族統一体という体裁を整えようとしていたことはまちがいない。そして、その時期に限って言えば、南の政権は、そのような体裁さえもとろうとはしなかったことも事実なのである。だから、このことは、洪命憙が共産主義者だったとか、金日成主義者だったということを必ずしも意味しない、と、わたしは思う。そうではなくて、「北」が変わっていく中で、彼もそれに合わせざるをえなくなったのだと、わたしは思う。
       しかし、南の韓国では、そんなわたしのような見方は長い間許されなかったと言うことだろう。


       SBSがドラマ『林巨正』を制作したのは、静かなところで洪命憙の再評価が始まっていることを意味している。そして、このドラマは、百丁(非差別民)出身の義賊ものというスタイルをかりて、「誰が国を救うのか」というメッセージに満ちている。同時に、これを見ていると、人間の弱さや限界についても考えざるをえなくなる。

       崔南善や李光洙の日帝支配下でのふるまいについて言えることが、入北後の洪命憙についても言わざるをえないのだ。自分にそんなことを言う資格がないことは承知しているが、この先達たちにして人々に感動を与えた初発の熱意を保ち得なかったことを、どうとらえたらいいのだろう。変節と言うのはたやすいが、変節しないことは、あまりにもむずかしいことだ。           top メール 感想 投稿 


    1998.3.1   3・1独立運動記念日 

       今日は、3・1節サみl,*チょl】。1919年の独立運動を記念した休日である。

       3・1独立運動については、日本でも教科書に載っているくらいだから、あらためて説明する必要もないだろう。同じ年に中国の5・4運動も起こっている。影響を与えたことは明らかだ。韓国が世界にさきがけて、反植民地化・反帝国主義の独立運動を開始した、誇るべき記念日である。

       ところで、3・1独立宣言を起草したといわれる崔南善【`ちぉぇなm,そn】は、その後日本に協力する親日派作家になった。3・1独立宣言に署名した李光洙【い〔り〕+クぁ~.す】は、長い間、その「親日派作家」の代表的存在と考えられてきた存在である。
       わたしは、近代朝鮮史に詳しいわけではないから、そのことをどう評価すべきか書くことはできないが、こういう事実を冷静に見つめ直す眼が、育っていかなければならないと思ってきた。

       これは、日本で戦争に抵抗した人たちを研究するとき、必ず「転向」の問題をどうとらえるか、それを過酷な弾圧に強いられた悲劇ととらえるとともに、抵抗する主体のかかえた「弱さ」をどう総括するのかという問題意識がついてまわることを思い起こして言っているのである。崔南善や李光洙を、裏切り者と考えるのではなく、また、ただ弁護するのでもなく、また、日帝支配のすさまじさを相対的に免罪する目的でもなく、民族の優れた文学者であり、時代の先覚者であった天才が挫折したのはなぜだったのか、主体に内在的な視点で見ていくことが大切だと思う。
          聞くところによると、文学界にはそういう動きがでてきているらしい。

       ところで、今日は、韓国と日本のサッカーの試合が横浜で行われる。韓国人にとっての在日の同胞であり、わたしのネット友だちである人が、横浜市長のあいさつで、ぜひ、この3・1独立運動について触れてほしいと申し入れたそうだが、どうなることだろうか。その人たちは、観戦にいくので、試合開始前に自主的に黙祷をしようと考えている。
       日本という場でそういうことが当たり前に行われるようになるのに、今後どれだけの時間がかかるだろうか。日本という国では、政治弾圧で日本人が犠牲になった場合でさえ、公式な追悼を行ったことがないのではないか。韓国では軍事政権下の時代でも、5月になれば光州市では学校で子どもたちに光州事件の意義を教え、追悼が行われてきていたのだ。             top メール 感想 投稿 


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