(1998年3月6日から)

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1998.2.23   文化開放への道のり 

   今日、KMTVを見ていたら、日本人の視聴者からのリクエストが紹介されていた。

   KMTVは、韓国の音楽専門テレビチャンネルである。そして、私が見ていた番組は、KNTV(韓国総合放送)を通して日本にも流れているから、日本にも視聴者がいるわけだ。
   リクエストをしていたのは、以前、韓国に留学していたという「ひろみ」という日本人で、リクエストされていたのは、4年ほど前のヒット曲だった。三豊デパートが崩壊したとき、奇跡的に助かった女性が瓦礫の中で歌っていたという歌である。
   司会者は、「日本の視聴者が、きれいな韓国語でリクエストをしてくれました。みなさんも、日本にもこの番組を見ている方がいることを知って、びっくりされたでしょう。私も、うれしくて、驚きました」と、紹介した。

   日本の大衆文化の開放が問題になっているが、韓国人が、韓国の大衆文化がどれほど日本で受け入れられているかを知ることも、この問題の早い解決のために役立つことだろう。

   最近、韓国のテレビでは、目立って、いわゆる「外タレ」つまり、西洋人の顔立ちで韓国語を駆使する人物が出演するようになった。その西洋志向の抱える問題はおいておくとして、韓国語もまた、韓国人だけのものではないことを意識することは、いいことだと思う。変化の早い韓国のことだ。いまに、受容一点張りの文化情報のありかたを発信型に変えていくペースも日本を上回っていくことだろう。何年か後には、韓国が、日本文化の閉鎖性を指摘する側に回らないとも限らない。私は、そんな日が来ることをひそかに期待している。                                            top


1998.2.15   記憶の再構成と証言の重み 

   この一つ前の記事(再構成される記憶)で、わたしは、自分の記憶違いについて書いた。そして、記憶が再構成されるものだと述べた。

   ところで、そういうことを言うと、喜びかねない人がいるので、ひとこと注意しておきたい。それは、一昨年あたりから日本でも目立ち始めている歴史修正主義者のことである。

   南京大虐殺はなかったとか、元「従軍慰安婦」の証言は信用できないなどと言う人がいる。
2月9日の文章は、決して、そんなことに利用されてほしくないので、蛇足ながら、わたしの考えを補足しておきたいと思う。

   記憶というものは、ときに、作り替えられる。しかし、だからといって、証言が信用できないと言うことにはならない。十分に調べられ、客観的な状況証拠と照合された証言に価値を認めないとすれば、裁判などはなりたたなくなってしまうだろう。とくに、当事者でなければ話せないことを証言している場合の価値は、常に政治的配慮を伴って作られている公文書よりも、生々しい実態を知る上で貴重なものである。

   たとえば、わたしが多少かかわりをもった例で言うと、元「従軍慰安婦」の証言は、次のような点で本人でなければわからない実態を明らかにした。

   昨年亡くなった金学順さんが名乗り出るまで、「従軍慰安婦」の実態研究は文書に頼らざるをえなかった。日本政府、旧朝鮮総督府の資料が焼却、または秘匿され(これには、焼却した側の証言や、秘匿していることの傍証がある)、どのように「慰安婦」を集めたかも、よくわかってはいなかった。

   韓国などで作られる映画やドラマでは、日本軍の車両が突然村にやってきて、少女たちを暴力的にさらっていくといったシーンも少なくなかったし、「慰安婦あつめ」をしたという日本人の告白の本が出版されて、そこにかかれたイメージも、それに近いものだったのである。

   今では、その日本人の告白の本には、事実関係においてさまざまな疑問が出されており、それについて著者が明確な反論をしていないことなどから、歴史資料としての価値を低く見ざるをえない。ところが、この本のような内容が、朝鮮における「慰安婦」の徴集方法として一般的でなかったことが明らかになったのは、何よりも金学順さんにつづいて名乗り出た被害者たちの証言によってなのである。

   まだ、「民間人のしたことで旧日本軍とは無関係」などという国会答弁があり、政府がいっさいの関連文書の確認をしていなかったったころから、多くの被害者の証言は、業者にだまされて連れて行かれたというものであった。それは、韓国でつくられていた「強制連行」のイメージとも、確かに違うものであった。そして、そのあとで、日本の側でも少しずつ公文書が発見された。その中からは、日本軍が民間の業者を選定し、その業者が悪質な「慰安婦あつめ」をしていることを政府が認識していたことが読みとれる。証言と一致したのである。

   歴史修正主義者たちは、このことを逆に利用して、「強制連行はなかった」などと宣伝をはじめた。しかし、俗聞に入りやすい劇画的な連行の場面ではなく、民間人を媒介にしただましであったとする証言が多いことが、逆に、証言の信憑性を高めている。そして、歴史修正主義者たちが「問題であるのはただ一点、強制連行があったかなかったかだ」などというのに対して、もともと被害者たちが訴えていることが「連行のしかたが暴力的だった」ということなのではなくて、「慰安所」において、監禁され、強姦されたこという、そのはなはだしい実態であったことも、忘れてはならないことだろう。
         (このあたりのことは、上杉聰『脱ゴーマニズム宣言』(東方出版)を読むとわかりやすい。)

   金学順さんの証言には、揺れ動いていた部分がある。それは、連行の過程の部分に集中しているのだが、それは、おそらく彼女が親をかばいたいからなのではないだろうか。今では、旧日本軍が大きな部隊を展開した地域にはどこにでも作られていたことがわかっている「慰安所」について、証言する日本人があまりに少ないことを考えれば、それとは全く違う理由で、被害者の方にも証言したくないことがたくさんあることは理解できる。金学順さんが最初に名乗り出たのは、証言がないことをいいことに、自分にふりかかった悲惨な体験を、なかったことにしようとする発言が、耳に入ったからだった。そうでなければ、証言しなかったかもしれないのだ。証言している人にも、それまで証言できなかった理由がある。

   つくり話ではないから、話したくない部分もあるのだ。

   もう一度、念を押しておこう。前の文章で、わたしは、後から見たテレビドラマのために原作の漫画を読んだ「記憶」が、実際と違うものに再構成されていたことを述べた。そういうことは、よくあることだ。
このことは、記憶というものがあてにならないと言っているのではない。むしろ、それほどまでにテレビドラマの印象が強かったことを意味している。そして、記憶が再構成される条件として、まちがいなくわたしは原作の漫画にもふれていたと言うことができるのである。                       top


1998.2.9    再構成される記憶 

   韓国に来てから、しばらく授業が少なくて、その間、テレビドラマの『東京ラブストーリー』の文字起こしをしていた。その作業は、いちおう、最終回まで完了した。

   この前、日本に帰ったとき、Bさんに、文庫化した『東京ラブストーリー』の原作(紫門ふみの漫画)をいただいた。そして、全部読んだ。

   びっくりした。

   ぼくは、原作を読んでいたはずなのに、ぼくの記憶の中の「原作」は、ほとんどドラマの内容だったのだ。そして、ドラマは、実際の原作とはかなりの部分が違っていることが確認された。

   ぼくは、原作が漫画雑誌に連載されていた頃、それを読んでいたはずなのに、いつのまにか、ドラマの内容の方から「記憶」を再構成してしまっていたらしい。そして、ぼくは、ドラマを文字起こししながら、「このドラマはかなり原作に忠実だなあ」という、「感慨」まで味わっていたのである。

   誕生日のケーキのろうそくを吹き消して、一本だけ残るシーン。愛媛で、リカが、カンチにわからないように、別れのはがきをポストに入れるシーン。それを、「原作」で見た、鮮明な「記憶」が、ぼくの頭のなかにはあったのに。

   もしかして、他の作品にそんなシーンがあったりして。いや、そうではないだろう。人間の記憶というものが、そもそも、再構成されなければ存在しないものなのだというところから考え直した方がいい問題なのではないだろうか。                                              top


1998.2.6    悪夢  

   体のコンディションがよくないときに、かならずみる夢がある。
   いつも、決まって同じ夢。  忌まわしい記憶。

   そのあとは、一日、暗澹とする。  ちょっとした心の油断をみつけては、
  悪夢は追いかけてくる。 忘れかけた記憶をよみがえらせる。          top


1998.1.25   日韓漁業協定終了通告について

  韓国にいて、逆によくわからないことが多い。日本はなぜ、漁業協定の終了通告
(=韓国では、これを「事実上の破棄」であるとして報道された) をしたのだろう。新政
権と交渉したいだけなら、しばらくほっておくとい うだけではいけなかったのだろうか。
流れてくる話によれば、交渉が息詰 まって、互いにこれ以上の妥協は難しいと感じて
いたということのようだ。それだけならどちらかが終了通告しなくても、「事実上の終了」
になったのではないか。逆に、「事実上の終了」だったのにわざわざ通告したから、
「事実上の破棄」と報道されているように感じる。どうなのだろうか。どうも、一番知りた
い部分の情報がない。外務省のホームページまで見たが、わからない。

 どなたか、教えてください。

 別のところであった議論で、この問題は「バイラタール」なものだから、韓国があのように
反発するのは大げさすぎるという意見もあった。 バイラタール...「bilateral 双務的」と、辞書
にある。どちらにも同じだけ権利と責任があるから、やったりやられたりするのはおあいこだ
とされる関係や領域のことを指すらしい。一言で言えば、小沢一郎の世界観は「バイラター
ル」なものからのみ形成されていると言えそうだ。
 しかし、韓国での反発は、条約が「バイラタール」であることを理解していないからくる
ものではなく、交渉しているさなかに、むきだしの「バイラ タール」な領域へ話を持って
いったことが失礼だとうつっているからだと思 う。「あれだけ譲歩してやったのに、そんな
態度をとるなら、譲歩したほうが馬鹿みたいじゃないか」という感情ではなかろうか。

  もちろん、韓国の方だけが譲歩してやったと考えるのは、報道のされ方 にも原因があり、そもそも独島(=竹島)が
 自分たちの土地であるのは、  「正しさ」の問題ではなく、「事実」だという認識が基本にあるからだが。

 そして、それならこちらもむき出しの「バイラタール」な領域で勝負してやるということ
ではないかと思う。かくして、韓国漁船は北海道に出漁を始めた。そうなれば、日本の
方が打撃をうけるはずだという記事まで出ている。

 日本では「親日家」として知られ、次の首相に内定している金鍾秘氏の党も、「軍国主義
の復活を予告するもの」とコメントしている。金鍾秘氏は少し前に日本へ行って、終了通告
をしないように説得していたという。そして、このコメントである。
 「軍国主義」という言葉が、よく言われる被害者意識から、「また日本が 侵略してくる」と
いう意味で使われている場合も、まだある。しかし、最近 の韓国の言論を見ると、わたしは
少しちがうような気がする。むしろ、前述 の「バイラタール」な関係を、「道義や善隣に
こだわらない関係」と解釈し、 そういう領域で挑戦状をつきつけてくるようないき方のことを
指して言って いるのではないか。それだけ、韓国では日本に対して「道義や善隣に配慮
した関係」を期待してきたし、今でもその期待自体はまったく失われていないと、わたしは
思うのだ。

 そういう期待を日本の側が「甘え」であると、切って捨ててもいいと考えるのなら、それこそ、
今までの歴史的関係を無視した「傲慢」であると言わ ざるをえないだろう。今回の件で、
日本政府が本気で協定を「破棄」して、 一年以内の再締結も必要なしと考えるのなら、
拿捕合戦に突入する可能性も あるといわれている。それでも勝てると考えているのだと
すれば、「強い方が勝つ」という自信があるからであり、そういう「自信」に根拠があるなしに
かかわらず、そんな「自信」が、政治を動かしているのなら、そのことを 「新たな軍国主義」と
いうのもオーバーではないのではないか。

 韓国では、独島(=竹島)問題への関心から、この交渉の経緯が逐一報道され、かなりの
関心を集めていたのである。だから、妥結すると思われた案が日本の国内事情で棚上げに
されたとなれば、メンツに関わるのである。今後も日本とは信頼できる関係は作れない、いつ、
向こうの都合で裏切られるかわからないから、信用するのはやめよう、という気分が広がって
いる。一年以内の再締結を目指すのなら、この終了通告が韓国国民に与える感情が、金大中
新政権の手足をも縛ってしまうだろうことをどう考えていたのだろうか。

 実際、今回の件で、韓国マスコミは、橋本首相がいったんは妥協案で妥結を考えたが、
島村農水相(?)や佐藤孝行氏らの強硬な態度のために身動き がとれなくなったと、分析
して伝えている。日本人がまるごと軍国主義者で あると言っているのではなく、そういう、
右派のよこやりでまともな交渉が とん挫させられてしまうことを、問題にしているのだ。そして、
そういう分析の方が、わたしにはリアリティーがあり、はるかに現実にねざした日本の政治の
深刻な問題点を正確に指摘しているように思える。

 極端な民族主義と、自国中心主義と、むきだしの「バイラタール」一本槍の政策に対する
自制心を持った、双方の批判的で道義と善隣を大切にするひとびとへの信頼が戦争を防ぐ
ことができるのだと思う。こういうことは目に見えない部分が大きいが、歴史を長い目でみるの
なら、大切に考えるべきと ころではないだろうか。                         top

26 01/21 18:50 時: ◎漁業協定破棄問題で韓国の反発強まる時事通信ニュース速報

=新政権発足前に対日関係険悪化も=

 【ソウル21日時事】日本政府が韓国との漁業協定を破棄しようとしていることに対し、韓国側の反発が強まっている。
日本が破棄を強行した場合、経済危機による国民 の不満が反日感情と結び付き、二月の金大中政権発足を前に両
国関係の険悪化も考え られる。  新政権で金大中氏の新政治国民会議とともに連立与党を構成する自由民主連合
は二十一日、「日本が協定を一方的に破棄しようとするのは、軍国主義の復活を予告するものだ」との声明を発表。
最大政党のハンナラ党も「(破棄の動きは)韓国が政権交 代期に加え経済危機にあるという弱点を十分に利用しよう
という意図に基づくもので 、国際社会の非難を免れない」と批判した。  韓国マスコミでも日本の協定破棄の動きに対
し、「無礼な選択で、韓国の経済危機 を悪用したとの批判を受けるのは確実だ」(朝鮮日報)などと、反日的論調が目
立っ ている。金大中次期大統領は二十日、金泳三大統領との会談で日本に再考を求めることで合意。韓国外務省
が日本側に伝えていた。 一方、日本領海内で操業していたとして韓国漁船一隻が二十日、日本側に拿捕(だほ)さ
れていたことが二十一日午後になって判明。韓国外務省は小田野展丈・駐韓公使を呼んで抗議するとともに、即時
返還を求めた。 [1998-01-21-18:50]


1998.1.20   週刊金曜日』購読問題の顛末

 昨年12月15日の記事で、私は、韓国である日本の雑誌が輸入禁止になっているら
しいと書いた。実は、その雑誌とは、『週刊金曜日』のことであった。
 この雑誌をどうしても読みたいというわけではなかったが、よくも悪くも、広告やグ
ラビアなどの余計な部分がない、薄さの割に情報量の多いこの雑誌を、マスコミ情報を
補完するものとしてとっていてもいいかと思って、問い合わせるだけのつもりで電話し
たのが、11月だった。すると、ソウルにある輸入取次会社で購読を断られ、理由をき
くと、『文化体育局からの指示で輸入できなくなっている』という説明だったのだ。

 『週刊金曜日』の編集部にこの件を確認すると、確かにこの時期、韓国での新規の購
読申し込みが、この取次会社によって断られていた例が外にもあったらしい。しかし、
以前からの購読者の手元には、その間も雑誌が届いていたということなので、輸入禁止
ではなかったことになる。だから、前の記事で、このことを「分断病」だ、などと表現
したことは行き過ぎだったと認め、訂正させていただきたい。

 しばらくして、もう一度このソウルの会社に電話すると、「この前はすいませんでし
た」と言って、受け付けてくれた。それから銀行振込をして、正月をはさみ、今日、初
めての郵送分を受け取ることになったのである。

 わたしも、なまじ最初に断られたものだから、意地になって購読することにしてしま
った。この雑誌のライターである岡田理氏の韓国レポートは、ほかのメディアにないこ
とを書いていてくれるので、参考になる。私は、かねがね韓国関係では、毎日新聞の重
村記者の記事をかっているのだが、それとは別の意味で、岡田氏もすぐれたライターで
ある。                                   top


1998.1.19   日本の影響力

 ちまたでは、韓国の反日感情がよく、議論されている。しかし、その一方で、韓国が
多くの面で、日本の影響を受けていることは忘れられていないだろうか。
 先日も、いっしょに食事した受講生が言ったのだが、韓国の法制度は、かなり多くの
面で、日本の判例を参考にしているという。この受講生は、司法試験の勉強をしていて
そのことを知ったそうだが、韓国の法曹界に入ろうとすれば日本の判例も学ばなければ
ならないということだそうだ。

 今日の新聞記事。北朝鮮では株式会社法が準備されている模様だという。その記事を
信用するなら、これにあたって、日本の商法が研究されたとのことである。

 韓国のマスコミは、日本の小さな事件でもよく伝える。悪い事件のことも多いが、単
に日本の悪口を言って溜飲を下げているのではないと思う。むしろ、日本でもそんな問
題があるのだということで、国内のいろいろな問題に悩む韓国人をほっとさせている面
がある。だから、日本が社会の矛盾をうまく解決せずに、どこかに押しつけるようなこ
とばかりすれば、韓国でも、それが言い訳に使われてしまう。

 「反日・嫌韓」感情などと言われるものは、結局、他人の振りみて我が振り直さずの
相互関係を作り出すものだ。そういう相互関係に利益を見いだす人たちが、あおってい
る面もある。もし、今の時代にでも「進歩」という言葉が意味を持つのなら、我が振り
を直すことが他人の振りをよくするような共振関係のことを言うのではなかろうか。
 私は、韓国の「進歩」的な運動にとても勇気づけられた世代である。だから、勇気づ
け、勇気づけられる関係のあることをよすがに生きていきたいと思うのだ。    top


1998.1.14   ハングル混在文書

 二日がかりで、コンピュータにハングルウインドウズを導入した。
大して使うわけではないが、ハングルで文書を作るには、日本語ウインドウズでソフト
ウエアをつかうよりは使い勝手がよい。また、韓国のプログラムはそれでなければ動か
ないものもあるから、必要なのだ。
 日本語ウインドウズでも、ハングルウインドウズのフォントさえコピーすれば、韓国
語のWWWがハングルの表示で見られる。もちろん、その逆も可能だ。今は、日本語ウ
インドウズ上でハングル文書が使えるソフトも、その反対も販売されている。数年前に
比べれば、そのへんは格段に相互乗り入れの可能な環境が整っている。
 ただ、ハングルと日本語の混在文書となると、今でもかなり扱いが面倒である。どち
らのウインドウズで作るにしても、相手方の文字に対して特別なフォントを指定しなけ
ればならないから、文書作成をして、印刷することはできても、混在文書を通信でやり
とりする標準の規格はなく、特別な取り決めをしない限り、混在文書のやりとりは困難
な状況だ。
 結局は、どちらかの帰属を決めてからでないと議論が始まらない日韓関係みたいなこ
とになってしまうと嘆くのは、私だけだろうか。                top


1998.1.7    故 安江良介 氏のこと

 偶然NHKが映っていた職場のテレビで、安江良介氏の死を知った。
私はこの人のことをあまり知らない。『世界』の編集長から、岩波書店の社長になった
人。美濃部都政の初期を支えた人。そんなことぐらいしか知らない。
 ただ、この人なら知っているということが一つあった。「TK生」のことである。

 『世界』に断続的に掲載された「韓国からの通信」は、軍事独裁政権下の韓国の民衆
の声を伝える貴重な文献であった。また、韓国の民主化運動の指導者たちも、極秘にこ
の「通信」を入手して読んでいた。もう一方の、中央情報局員も、チェックを怠らずに
読んでいたはずだ。
 現在の時点から言えば、この「韓国からの通信」には、さまざまな疑惑があると言わ
ざるを得ない。疑惑の最大の原因は、結局、これを誰がどのように書いていたのか、今
に至っても公表されていないことにある。
 「そんなことは本質的な問題でない」という立場もあるかもしれないが、私はそうと
は思えない。この「通信」が、本当は日本で書かれていたとする可能性は捨てきれない
し、執筆者の中に、編集者であった安江氏が含まれていたとする説も、根拠も薄弱だが
反駁する材料もない状態である。
 私は、たとえこの「通信」を日本人が日本で書いていたものだとしても、その価値が
なくなるとは思わない。確かにそれは、他のどのようなレポートにもない真実を伝える
役割を果たしていた。不正確な部分や誇張があったとしても、当時反対の立場に立って
いた日韓両政権寄りの雑誌の記事のいいかげんさに比べたら、一番大切なところでうそ
は書いていなかったと思えるからである。今では韓国政府の歴史評価も、その当時の
「通信」の記述に大幅に近づいているのだ。

 しかし、それだからこそ、安江氏は、本当のことを公表すべきだったのではないだろ
うか。金大中が大統領に当選しても守らなければならない沈黙があったのだろうかと、
疑問に思うのである。                           
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1997.12.28   自由ラジオ

 このページは絵のない落書き帳のようなものだ。絵も、そのうち入れることができる
かもしれない。今度、付属のソフトウェアを使ってみよう。使えるイラストマップとか、
あるはずだし。
 「壁」に向かってものを言うのは、言葉が壁に穴を開けるかもしれないと思うからだ。
私(たち)は、相手に気を遣って話しすぎていたようだ。こういうメディアを使うこと
で解放される面は、確かにある。だから、つい、書いてはいけないことまで書いてしま
うケースも出てくるのだろう。ここでも、書いてはいけないことは、ある。だが、ここ
ではじめて書けることもある。

 最近は、インターネットについて発言することが多いらしい、粉川哲夫というセンセ
イにさそわれたり、影響されたりして、大学生のとき、自由ラジオというのをやってい
た。滑稽なことに、私は、一年ぐらい、メンバー以外にほとんど聞く人のいない週一回
のラジオ局のことばかりを考えて過ごしていた。それは、リスナーに聞いてもらうため
の放送ではなかった。しかし、放送しているという名目のためか、メンバーが隣の部屋
で聞いているかもしれないという緊張感のためか、いちおうは、そこにいなくてもわか
るような話し方を心がけていたせいか、同じ友達同士が話していても他では話せない話
ができた。
 たとえば、議論のしかたでも、何かを決めるための会議なら、ほとんどの人がルール
に従って発言するだろう。しかし、非公式な場では、自分勝手に発言する人が主導権を
にきってしまうかもしれない。ラジオの場では、そのどちらでもなかった。「これはラ
ジオ番組なんだ」という了解が、たとえ仮想の了解であったとしても、私たちの関係を
変えていったのだ。

 だから、そこにマイクがあれば、電源は切れていても
かまわなかった。

 自由ラジオ運動というのは、もともとは、ヨーロッパ、特にイタリアでの、私たちに
はテロリズムの時代として記憶されている頃の新左翼運動の中から生まれてきたものら
しい。そのころの私は、そういうものと精神的につながっているつもりでいたかもしれ
ない。だが、多分、それとは別のことをしていたのだと思う。別のことだけど、イタリ
アの激しい社会の混乱の中での出来事と、私たちの自己満足とは、当時のなつかしい言
葉だけれど、「権力の身体性」という理論で結び付けられて理解されていたのである。
                                     top


1997.12.25   英語で測られる価値

 ハングルのついてるキーボードで「かな入力」するのは骨が折れる。だが、いまさら「ローマ字
入力」に転向したくはない。こういうのをやせ我慢というのだろうが、日本語をわざわざローマ字
にして入力するのは、思考が乱れるもとになるような気がするという理由もある。

 次の大統領に決まった金大中氏ぐらいの歳より10歳ほど下の世代からの韓国人を、ハングル
世代と呼ぶことがある。日本語での教育を受けていないという意味である。実際のところ、現在
話されている韓国語のいたるところに「日本語のかげ」を見ることはできるのだが、意識の上で、
ハングル世代以降の韓国人にとって、日本語は遠いことばである。勉強する人は少なくないが、
英語より下に見られてしまうのはいたしかたない。これは、日本人であっても時として、日本語を
英語の下に見る意識が働くのと同じようなものだと思う。

 前置きが長くなってしまった。私は、基本的に、アジア人が英語を媒介にコミュニケーションする
ことに不自然さを感じているのだ。フィリビンのようなケースは別としても、アジア人同士の会話が
英語でしかできないのだとしたら、私たちはアジアにいることの価値の半分は、永遠に共有でき
ないのではないかと思うのだ。英語が悪いというのではないが、英語に翻訳されることで測られる
価値からこぼれおちるものも多いように思う。

 こんなことを書くのは、私が韓国語で話していても英語で返事をしたがる韓国人が絶えないから
である。念のために断らせてもらうが、私の韓国語がその人たちの英語よりいっそう下手だという
わけではない。上手すぎる英語も、無理をしながら話している英語も、聞く側の立場からすれば、
決して聞きやすいものではない。自分の言葉でやさしく伝える努力をしたほうが、よっぽどわかり
やすい話し方ができるのにと、この種の韓国人を見ていて思うのである。

 韓国人はよく、国や民族について「自尊心」ということを問題にする。私は、この「自尊心」を
悪いものだと思わないが、ときどきそれが、自己の内に自信を秘めることよりも、外部の価値の尺
度で測られる競争で勝つことを重要視しているように見えることがある。
 そのことを私は残念に思っている。                          top


1997.12.17  金学順さんの死

 私のニュースの見方が悪いのだろうか。韓国のTVニュースの全部をチェックしているわけではない。
しかし、16日に金学順さんが亡くなったことを、きのうのニュースでは伝えたのだろうか。
 伝えていたのだろう。新聞には写真入りで、記事が出ていたのだから。しかし、大統領選挙の影に
かくれて、取り返しのつかないことがおこったことを知らずにいる人は多いだろう。

 金学順さんは、韓国で最初に証言者となった、元「従軍慰安婦」だった。それまで、書物の上でしか
論じられなかった「慰安婦」問題は、こうして、具体的な人間の尊厳の問題となったのである。

 李恢成が、小説の中で、「この国(韓国)の人は、死者が生きていて生者が死んでいるような錯覚に
とらわれる」と言っている。韓国人ならたいていの人は、「歴史を大切にする」という。しかし、この
大統領選挙で、金大中までが朴正煕を褒め称える現象は何なのだ。経済がよければ歴史はどうでもいい
のかと、反問したくなる。

 金学順さんは、特別な人ではない。しかし、この民族の歴史を背負わされて生きてきたことだけは確か
だ。民族は時に生に喜びも与えるし、苦難も与えるだろう。民族は、拭いがたく、生に関与してくるから
である。その、込み入った関係の中で、身体を晒して必死に訴えかける、このおばあさんの力に、日本人
である私も動かされた。

 誰もが何らかの「民族」を何らかの形で背負って生きるだろう。しかし、その生き方は、民族を越えて
感動を与えられる。                                 top


1997.12.15  三者討論会

 昨日は、大統領選挙の最後の三大候補招請合同討論会があった。
内容はともかく、テレビで徹底的に討論させて、投票者の判断材料に
するというやり方は新鮮だ。いや、米国では当たり前のことだろうけど。

 日本では、政治家が変な理屈をこねて、立ち会い演説会を廃止した
りした。マスコミ不信を理由に、マスコミ主催の合同討論会も開けない。
開けないどころか、ひょっとしたら公選法違反になりかねない。
 もう、4〜5年前から、政治過程の民主主義の成熟度では、日本は
韓国に追い越されていると思うのは、私だけだろうか。

 しかし、韓国の「分断病」がなくなったわけではない。この選挙の
さなか、それまで不問に付されていた理由で、安企部に拘束されている
人がいる。日本の左翼系と思われる雑誌が輸入禁止になっているらしい。
《私は韓国の会社に購読を断られたが、詳細な事情は調査中。★→1998.1.21を参照
 私は、この文章を、いくらかでも金泳三政権を信頼している証として書
かなければならない。昨日の三大候補の討論会で、三人とも、検閲には
反対だと言った。表現の自由は大切だと言った。留保の付け方が微妙
に違ったかもしれないが、私の語学力ではそこまで正確にはわからなか
った。しかし、その、「留保」の部分が一番大切なことなのだ。この選挙の
さなか、誰が、かつての在日韓国人政治犯のシンボルである・徐俊植氏
が、映画を上映したということだけで拘束されたことを問題にしただろう。
日本文化の輸入問題で、三人とも肯定的であると、そんな、いまさら当た
り前のことが報じられる中で、この国はどうして、自分の国の姿を少しでも
外から見ようとしないのか。                    top


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