(1999年1月16日から)


1997年12月の日記

以下の用語には
注釈があります。

表題リスト  

1.て形
2.直接法と間接法
3.ハンガナ
1997.12.11 制作開始!
1997.12.16 「と」と「や」
1997.12.23 民族反逆者?!
1997.12.25 「本を見る」
1997.12.27 「本を見る その2」
1997.12.28 「ウリナラ」と「チョイナラ」
1997.12.29 「そうではありません」

 過去の日記リスト
 
 最新の授業日記


注意) 文中の【  】にはさまれた部分は、ハングルの発音を表すためのハンガナです。


1997.12.29  「そうではありません」

 私は、どうも文章を偉そうに書いてしまうくせがあるらしい。今までのところ
を読み返しても、なんか一人で教えを垂れているような感じだ。

 ほんとうは、ばしばしと叩いてくれる人を待っているんだけど、そのためにも、
こちらの持ち物は全部見せておくのが礼儀だと思って、精一杯のところで書いて
いる。私は今まで、職場でいろんな議論にぶつかってきたけど、気兼ねなしに話
せることはまれだったように思う。あとくされなく、遠慮もせずに議論すること
がどれほど難しいか、社会人になってから痛感のしっぱなしだ。

 そういう意味では、学校としての環境は滅茶苦茶だったが、最初の職場は本当
に楽しかった。10年前の、雨後のタケノコのように日本語学校ができたころの、
新宿−大久保−高田馬場のデルタ地帯にあった、ラブホテルと産婦人科医院に囲
あの学生では、自由があった。ほかのものは何もなかったけれども。

 その後、格が上の学校に行ったり、もっと上品なところに移ったりしたけど、
いい学校になればなるほど、教師間の関係の取り方に悩まされたような気がする。
あるいは、「専任」という役職についてしまったことで、自分の意見を100%
言えなくしてしまってたのかもしれない。自分が範を示さなければならないのに、
それでは、楽しい論争が生まれてくるはずもなかったということだろうか。

 問題としては初歩的で、日本語教師ならだれでもどこかでぶつかる問題をひとつ
出しておこう。私も、話題にするのは今回が初めてではない。

 [会話1]
  A: あなたは、よく、テニスをしますか。
  B: いいえ、そうではありません。サッカーをします。

 [会話2]
  A: あなたはテニスがすきですか。
  B: いいえ、そうではありません。きらいです。

 [会話3]
  A: あなたは、テニスですか。
  B: いいえ、そうではありません。サッカーです。

このうち、どれが正しい会話で、間違っている会話は、
どこが悪いのだろうか。

 最初は簡単に解決すると思っていたけど、よくよく考えてみると、けっこう単純
ではないような気がしてくる。

 これが、解決したら、次の会話についても同様の検討をしていただきたい。

 [会話4]
  A: あなたは、よく、テニスをしますか。
  B: はい、そうです。テニスをします。

 [会話5]
  A: あなたはテニスがすきですか。
  B: はい、そうです。すきです。

 [会話6]
  A: あなたは、テニスですか。
  B: はい、そうです。テニスです。

 あなたは、以上のような会話が教科書に載っていたら、どうするだろうか。

 ちなみに、私の手にしているソウルの某出版社の教科書では、以上の会話のどれ
もが正しいことになっている。(としか思えない。まあ、これは、それを書いた韓
国人の著者が母語の干渉を受けていたということになるんだろうけど。)

 今回は、「私はよくわからない」と、正直に言っておこう。私の勉強が足りない
のだが、手元にある文法解説書では、このなかに誤文があったとしても、学習者が
それを防ぐ手だてが載っていない。誤文を防ぐ手だてはあっても、ありうる形まで
排除してしまう可能性がある。そのへんのところをよく考えて、優れた解答を送っ
てくれる方がいらっしゃったら、この続きを掲載することにする。      top


1997.12.28  「ウリナラ」と「チョイナラ」

 この話題は、きのう書こうと思ってやめたものである。余りにも問題意識が特
殊だと思われたからである。
 この前の中田選手が好きな女の子に、私は初めて、韓国人が韓国のことを
_チょhぃなら】と言うのを聞いた。そして、それがとてもうれしかった。

 これを「うれしい」と感じる理由を説明するのは簡単でないし、個人的な思い
入れが働いているのかもしれない。簡単に、事情を説明しよう。

 英語のweに当たる言葉が、韓国語に二つある。.うり】と__チょhぃ】である。
簡単に言うと、「わたしたち」と「わたしども」なのだが、この二つは、謙譲語
であるかどうかの違い以上の意味的差異がある。聞き手が含まれうるかどうかと
いう違いである。【.
うり】には聞き手が含まれる場合(you and I)と含まれない
場合がある。【
_チょhぃ】は常に聞き手が含まれない。

 だから、韓国人が韓国を.うりなら】と言うのは当然だ。日本人にそう言って
も、おかしくない。しかし、相手(日本人)を含まないつもりで【.
うりなら】と
言えば、対抗意識を表わすし、含めて言っているのなら事実に反する。たぶん、
そんなことは意識せずに韓国の別名が【.
うりなら】だというぐらいのつもりなの
だろうが、私にはどうしても引っかかる。自分を仲間扱いして話してくれている
のか、それとも無視して話しているのか、気になって、その瞬間、不安になるの
である。

 こんなことを訴えて、理解してくれる人がどのくらいいるのかわからない。韓
国語の世界に、あまりに日本式の待遇表現のありかたを持ち込んでいるからかも
しれない。きっと、在日韓朝鮮人は同じような人に理解されにくい悩みがあるん
だろうと思ったりする。【
_チょhぃなら】とへりくだって言う必要はない。
はn.+クk】(韓国)と、言ってくれればいいのだ。そうすれば、外国人にも別の
国なり出身なりがあることを前提に話ができる。

 韓国人の会話で、【.うり】と言えば、無条件に大韓民国か、朝鮮民族を指すこ
とができる。しかし、これからますます、モノもカネも情報も、国や民族の境を
無視して入ってくるだろう。逆に、それだからこそ、言葉は最後の垣根なのかも
しれない。とは言っても、韓国語を話す人が世界中に広がれば、言葉づかいも徐
徐に変わっていくことだろう。
  《 1999年1月10日−3に つづく 》    top


1997.12.27  「本を見るその2」

 25日の「本を見る」の話を、もう一度、考えてみよう。

 韓国語の.ポ+タ】は、「読む」の意味にもなるし、ひとに「会う」意味でも使う。
読む」に当たるいk*た】、「会う」に当たるまnな+タ】という動詞もあるが、それら
を包み込むように
.ポ+タ】の領域が広がっていると考えられる。

 これに対して、日本語の「見る」は、「読む」や「会う」と排除しあっているように思わ
れる。

 しかし、一見そのように思われるのは、私が日本語話者であって、同じ環境で「見る」と
読む」が現れてもその微妙な違いを感じ取れるからだけなのかもしれない。別の言い方を
すれば、韓国語で「
会おう」と言うときに.ポ+チゃ】と言おうがまnな+チゃ】と言おう
が、
同じことだと私は思っているが、韓国人に聞いたら、

   「言葉が違うんだからどこか意味も違うはずだ!」

と主張する人が現れないとも限らないのである。

 言語学では、意味分析を客観的な手続きに基づいて進める方法がさまざまに開発されてい
る。しかし、それは、裏を返せば、上のような初歩的な問題であっても、「母語話者がそう
考えるのだからそうなんだ」という、一種の
素人考えに、最後のところで足元を救われるこ
わさが拭い切れないからなのではないかと思ったりもする。

 また、あまり深く考えない教師は、とにかく説明できればいいと思うからか、本来は意味
の領域が重なりあったり、包み込んだり、包み込まれたりしているものなのに、なにかの基
準で使える範囲を区別すべき言葉の数にだけ切り分けてしまうことがある。
 私の知っている教師の中には、「
本を読む」「漫画を見る」が正しいと教え「漫画を読む
と話した学習者に注意して訂正させたりした人がいた。世の中で、「
漫画を読む」と言わな
い日本語話者を探すほうがよっぽど難しいと思うのだが、その同じ人は雑誌も「
読む」でな
くて「
見る」が正しいとまで主張するのだから、ここまでいくとこの人に何と言って議論し
たらいいのか、こちらのほうがわからなくなくなってしまう。

 今の例で、「見る」や「読む」といっしょに使うことのできる名詞を探して、そこから違
いを導き出そうとするやり方は、独断さえ入れなければ、手続きとしては客観的なやり方で
ある。ただ、おそらくは、今議論している二つの動詞の意味の領域の違いは、このような手
続きから誰が見てもはっきりとわかるような結論が出せるレベルのものではなくて、実は、
もっと微妙なものなのだろう。ましてや、字ばっかりの漫画や、絵ばっかりの本がちまたに
あふれているときに、
係り結びのように対象の名詞によって動詞が決まるわけはない
である。

 だから、私が断定的に教えることができるのは、抽象的な表現だが、

  大まかな傾向として、韓国語の.ポ+タ】がいk*タ】を包み込む(あるいは下
 位に置く)関係が強いのに対して、日本語の「
見る」が「読む」を包み込む関係は、
 比較的弱く、相補的に意識されることが多い。

ということまでだろうと思う。これと同じことが、「食べる」と「飲む」に関しても言える
し、「
見る」と「会う」に関してならば、もっとはっきり言えるだろう。しかし、もっと明
快に区別しようとするのなら、結論を急いではいけない。関心のある人たちが「
素人考え
を出し合い、みんなが納得できる説明が出てくるまで考えていく姿勢が必要だと思う。

 実は、外国語の習得能力の中には、こういう「姿勢」も含まれるのではないかと、私は思
っている。全部教師が説明できたとしたら、その説明の半分はうそだとしか思えないからで
ある。これについては、諸先生方の意見を聞いてみたい。             
top


1997.12.25  「本を見る」

 今日はクリスマスで祭日。今日は休みになるが、31日まで授業はある。

 コンピュータの設定に追われる。性能はいいが、スペックが少しずつ標準からはずれている
から、ドライバーの導入を間違えると大変なことになる。

 少し前に、教えていてやり込められたことを書いておこう。

 初級の段階の韓国語話者によくある間違いで、「本を見る」という言い方をする人がいる。
「新聞を見る」とも言う。これは、ひょっとしたら日本人教師も見逃してしまえる間違いだ。
日本語でも「新聞を見てから家を出ました」といって、そんなにおかしくはないだろう。

 しかし、この人たちは、「読む」というつもりで言っているのだ。直さなければならない。
以下は、韓国語で説明したことである。

 「本を見る」といったら、読まないで、ただ見ることです。
本屋で買う前に言うのならいいけど、ここでは少し変ですね。

 しかし、敵は不意打ちをくらわした。以下も韓国語での逆襲である。

 先生、さっき、「時計を見る」と教えましたね。
あれは、時計を読まないで、ただ見ることですか。

 そう。韓国語では、時計を見て時間を知ることを、ふつう、「時計を読む」という方式の表
現で言うのであった。

 間接法を使うとこういうトラブルに遭うことになる。しかし、直接法で教えるときは、教師
がこういうことを予測できてなければいけないはずなのだから、そこまではできない私のよう
な未熟教師は、すこしぐらい韓国語で説明してもいいんじゃないかと、思っている。いつか、
日本語だけで1時間引き付ける授業をしたいものだと思いながら。           top


1997.12.23  民族反逆者?!

 自宅にコンピュータを入れた。もうこれ以上ウォンがやすくならないことを信じて、円払い
のカードで一台買ったのだ。そうしたら、今日、ウォンが急落。ついに、一ドル2000ウォ
ンを突破した。1000ウォンの時に大騒ぎしたのは、まだまだ序の口だったというわけだ。

 最近、教えている相手は、高校生ぐらいの子が増えている。大統領選挙だと言っても、この
人たちには選挙権がないから、私と同じようなもの。「先生は投票するんですか」と、ま
じめに質問する子までいて、ほほえましい。でも、この子、光州事件のとき、まだ生まれてな
かったのかと思うと、さすがに世代の違いを感じずにはいられない。

 昨日から個人授業でクラスに追いつくための授業を始めた女の子は、高校一年生。まったく
の ゼロから始めたが、なかなか覚えがいい。
  「どうして日本語の勉強を始めたの?」
と聞くと、
  「サッカーの中田選手が好きだから」
なのだそうだ。そんなことを公言して、いじめられたりしないのかと聞くのは発想が古いのだ
ろう。若い世代は、今までとはちがうのだから。                   top


1997.12.16  「と」と「や」

 大統領選挙のまっさなか、今回の選挙にも、いやな言葉だけど、「泡沫候補」と見なされて
いる 候補もいる。 実際は7名が立候補しているが、マスコミに出てくるのは、3人で、あと
は、たまに紹介される だけだ。

 少し前に、「と」と「や」の違いを聞かれたときに、これを利用した。

 「大統領候補は7人いますが、
   誰と、誰と、誰と、誰と、誰と、誰と、誰ですか? 」

ここで、「誰」を丁寧に7回言うのは細かい芸である。みんな、日本人の講師がしってること
を韓国人が知らなくてと、一生懸命思い出すが、5人ぐらいしか名前がわからない。そこで、

「イ・フェチャンさん、キム・デヂュンさん、イ・インヂェさん な ど
ですね。」

と、いうふうにやったら、一発で決まった。

 こういうのは、そのときのひらめきみたいな側面があるから、次の授業で同じようにやって
も、同じ反応が期待できるわけではない。別のクラスでやったら、7名全部答えられる人がい
て、全然うけなかった。                              top


1997.12.11  制作開始!

 マニュアルもないままに、ホームページ制作に乗り出す。
何が何だか分からないが、自分のアドレスの所に、確かに
さっき送ったページがあるではないか!

 このNetscapeのエディターには、「改行」とかいうメニュー
がついているけど、リターンキーで改行してはいけないのだ
ろうか。「空白」というメニューもあるけど、何のため?

 とにかく、福岡時代の先輩たちに続いて、HPを作ったのだ。
大したことではないが、うれしいことには、変わりない。

 じゃあ、授業日誌を書くことにする。

 なんか、まだ、文章が緊張しているなあ。

 今日は、お昼のおじさんクラス(主婦クラスだったのに、アジョシ
一人で、やっている。)

−−−あっ、そうか、リターンキーだと、改行幅が違うぞ!

 をした。これから、10月に始まったクラスと、11月に始まった
クラスに入る。少し前まで、2級対策というのがあったんだけど、
今はなくなったので、中級以上のクラスはない。
 いちばん上のクラスでも、「て形」を少しやったくらい。こちらは
同じ授業の繰り返しだ。でも、同じようにやっても、反応が全然
違うことがある。授業で大切なことはいろいろあるけど、そのう
ちの何が影響しているのか、考えてしまう。

 今、となりで、親子クラスを院長が教えている。院長のことは、また
後で書こう。教育パパが、10歳ぐらいの娘を連れて、日本語を習い
に来ている。
「他にすることないのか!」
と思っても口に出さずに、私も教えた。この二人はゆくゆく「おじさん
クラス」に入るらしい。ああ、恐ろしいことだ。一流大学出の、頭でっ
かちの父と、その父が自分より先に答えてしまうのが気に入らない娘と、
文法も発音も関係なく、私の言ったことを何でもハングルで書き写して
丸覚えしよう とするアジョシと、どうやっていっしょにやるんだ!

 福岡で専任講師だったときは、小さな連絡ミスでいつもたたかれ
ていた。その時の非常勤の先生方がそのままの感覚でここに来たら、
やっていけないだろう。いつ、どのクラスに誰が来るかわからない。
授業が終わって、さあ、休もうと言うときに、
「あ、次もお願いします」
と言われる。
 そんなことは、不思議でも何でもないのだ。そりゃ、わざとだったら
困るけど、事情があるからそうなるに違いない。
 教師に求められる素質も、場所によって全然違う。       top


                home  日記  生活    DARI  用語


ここから わたしにメールをおくってください!


このホームページの作成者に、おっしゃいたいことがありましたら
おきがるにメールをおくってください。たのしみにまってます!


おなまえをおねがいします
タイトルをいれてください 

メールアドレスをおねがいします 
したの「空欄があれば送信しない」のチェックをはずせば、未記入でもおくれます。

おたよりは ここに かきこんでください 

 空欄があれば送信しない
 送信内容のコピーをえる
 内容確認画面をださないで送信する