(1999年9月5日から)

  かなと発音の指導   

1999.9.4  DARI外国語専門学院 あきづき やすお

1 なぜ最初に かなと発音の指導をするのか

1.ひらがな2日、カタカナ2年       なぜ ひらがな学習は 軽視されるのか

 韓国では、ゼロから学習をはじめるクラスで、ひらがなをおしえるのに つかう時間数が、 とてもすくないように おもう。わたしが きいた はなしでは、おおくの「学院」で2日で おぼえさせてしまうという。それで、ほんとうに おぼえられるかどうかは あやしいけれども、 ひらがなだけをおしえる授業をそれ以上つづけても、おなじことの くりかえしになるからだという意見を韓国人の教師から きいたことがある。

 ふしぎなことに、カタカナは2年たっても おぼえられていない学習者が かなりめにつく。 ほんとうに ひらがなが2日で おぼえられるのなら、カタカナも すぐおぼえてしまえる はずである。そうならないのは、結局、ひらがなは 完璧でなくても説明や練習をきりあげて、 教科書に すすんでいき、すすんでいくなかで、反復してでてくるので自然におぼえてしまうが、 カタカナは 教科書の文のなかで、外来語などの特殊な単語としてしかでてこないので、 そのたびに その単語をおぼえておけば、カタカナ自体をおぼえていなくても授業には ついていけるということに すぎないのではないだろうか。

 それでも、ひらがなを「自然に おぼえて」しまうのなら、それで いいではないかという 意見もあるだろう。しかし、このような方法では、ひらがなの よみかたや かきかたについて、 特別な注意が必要な部分の指導が ぬけおちることにならないか。特に、のちに発音の矯正を しなければならない ばあい、その 発音の まちがいの原因が、かなの よみかたに あるとしたら、 かなについての不完全な知識が その まちがいを再生産してしまうので、それをもとから 訂正しようとすれば二度でまになってしまう。文字の字形についても同様である。

 文字の導入が、かならず、ほかの要素の学習に さきだたなければならないとは おもわない けれども、ほとんどの韓国人学習者が 文字をてがかりにして 独習したり、予習・復習している 現状では、文字と発音についての ただしい知識をなるべく はやい段階で つたえることが、 必要ではないだろうか。文字をつかって おしえる大部分の教科書に したがったカリキュラムの ばあいは、特に そうである。

2.ABCは しってても・・・       五十音で ひらがなが よめるのか

 英語を学習する ばあい、ABC…Zのアルファベットの なまえをおぼえたからといって、 英語が よめるようになったと かんがえる ひとは いない。ところが、日本語の学習では、 それと おなじことが わすれさられてはいないだろうか。

 もちろん、ひらがなと、英語のアルファベットとを同列に ならべることは できない。しかし、 ひらがなも また、字母の よまれかたと、その音価が つねに ひとしいとは いえないのである。 わかりやすいのは長音表記で、「ひこうき」を「ヒコ『ウ』キ」と いっては、よく通じない。長音の表記は、状況に よって かきわけられるから、それについて しっていないと、適切に発音できないのだ。促音、撥音のオトは、環境によって かわることになるし、長音も ふくめ、そもそも拍感覚が できていないと、全体の発音が おかしなものになってしまう。さらに 助詞の「を」「は」「へ」も あるし 文字で あらわされていないアクセントなどの要素も 考慮しないと通じにくい ばあいがある。

 このような問題を、なにを、どの程度、注意しながら発音しなければならないかは、教師が 適切に指導しなければならない。もし、ひらがなの指導のときに、そのような注意が なければ、 学習者たちは「字母の よみ」という不完全な知識だけをつかって自己流の発音をしてしまうだろう。 また、その自己流の発音と実際の発音にギャップが うまれ、それが修復されないと、ききとり、 かきとりに支障を生じ、のちの学習において、よみかきの学習と、はなしことばの学習が分裂して しまう。

 だから、まず、注意すべき事項については、すべて説明し、その全部が、完全にできないのは 当然としても、「自分には、なおさなければならない課題がある」ということを自覚させることが、 最低限、必要ではないだろうか。問題意識をもたされていなければ、みずから修正することは ありえないと おもえるからである。

3.日本語の発音はハングルでかける?         区別することと区別しないことの区別

 さらに、問題を複雑にする要因が、韓国語の発音上の干渉である。

 入門期の教科書には、ひらがなの字母の ひとつひとつに ハングルが ふってあるものが おおい。 これは、二重の意味で、おおきな あやまりをひきおこす。

 ここで、韓国標準の、日本語のハングル転写法をかんがえてみる。日本語の語中の無声子音を ふくむ音節に、ハングルの有気音が あてられているのは、おそらく、促音に対して濃音をあてたため、 それとの区別をするためだと おもわれる。しかし、実際に日本語が発音されるときに、語中の 無声子音をふくむ音節が有気音として きこえる ばあいは さほど おおいとは おもえない。 一般的には、濃音に きこえるケースが おおいだろう。それでは、もし、これらを濃音で かきあらわせば、どうだろうか。今度は、促音との区別をほかの方法で表示しなくてはならなくなる。 そこで必要な要素は、拍感覚である。

 そうでなくても、語頭の無声子音をふくむ音節と、対応する有声子音をふくむ音節は、 ハングル表記では区別されえない。長音は、長音記号をつかわないかぎり、長音でないオトと 区別されない。ハングル表記では、このような問題が そのまま発音に対する不注意に直結するのである。

 また、ある教科書では、語頭も語中・語末も 関係なく、無声子音をふくむ音節には濃音 (あるいは激音)、対応する有声子音をふくむ音節には平音を対応させている。こうすれば、いちおう、 自分が発音するときには、語頭の濁音以外は、日本語話者にも それらしく弁別してもらえることになるが、 ひとたびネイティブの発音に ふれるや、ききとりに障害をおこし、ならったことと実際とのギャップに くるしまされることは想像にかたくない。このギャップが発音を矯正しようとする きっかけになることは まれで、おおくは、実際の発音を無視して、自分にとって区別がラクな仮想の 音韻体系のなかでだけ勉強をつづける態度に とじこもることになるのでは なかろうか。実際、たとえば 「かみ」という単語の かきとりをすると、教師が[kami]と発音しているのに、「いまのは[kami]ですか、 [k'ami]ですか」と質問し、[kami]と こたえると「がみ」と かく学習者が あとをたたない。仮想の 音韻体系のほうこそが ただしいと おもいこんでいるわけである。こうした現象は、無声/有声の 対立だけではなく、注意して観察すれば、発音の困難な部分で随所にみられる。そして、いったん このような学習態度が つくられてしまうと、あとから発音を修正することが、それまで習得した単語の 知識をめちゃくちゃにしてしまう危険さえ うんでしまう。はやい段階から、かきとりをして、きこえて くるオトと 文字をむすびつける訓練をしなければならないと かんがえる ゆえんである。

2 かなの教材

1.必要な項目のあるテキスト      提出順・文字の認識・単語

  • 各字母の字形と筆順
  • 既習の ひらがなだけで かける単語と絵
  • 母音が無声化する ばあいの説明
  • 「ん」が、濁音に さきだたなければいけないわけ
  • 「ん」の発音のバリエーションをしめす表
  • よつがなの説明
  • 長音が さきか、促音が さきか?
  • 長音の表記規則が わかる配列と例外の説明
  • 「行」ごとに しめされた促音のバリエーション
  • 拗音に つかえる字母の明示
  • 2.自習できるお習字シート       気をつけるべき字形

  • 筆順よりも、全体の かたち
  • まぎれのない 字を かくために必要なことを自習できる工夫
  • 3.教室でつかう かきとり帳       発音との対応

  • 韓国語をなるべく つかわないで すむように訳はシートに
  • 数字の練習をかねて、番号をふる
  • 訂正のためのスペース
  • 4.秘密兵器              単語カード・口内断面模型

  • 反射神経をやしなう 文字カード  
  • ゲーム性をもたせるのに つかう絵カード  
  • 調音点の自覚と調節をたすけるための 口内断面模型
  • 3 授業のながれ

    1.無理なくおぼえられる分量は・・・         1単元に3行(15字)/特殊拍は1単元1項目

     中学生では、1時間に10字ぐらいのほうが いいかもしれないが、意欲をもって学習を はじめたひとなら、ゼロで きても、1時間で15字までは、マスターできる。そこで、1時間 1単元として、1単元の分量を3「行」15字とする。ただし、最初の15字よりも、 16字目から30字目までの15字のほうが、むずかしくなることは、考慮すべき。

     復習や、最初の授業のときの、あいさつや自己紹介などをかんがえると、字母が ひととおり おわるまでには、5時間ぐらいみたほうがいい。それでも、宿題にして無理な おぼえかたや、 まちがった おぼえかたをさせてしまうより、授業時間内でおぼえてしまえるようにしたほうが あとで楽になる。



     字母が おわったら、字形の指導は しなくてよくなるが、その分、濁音や特殊拍は、表記規則の 説明や、発音のバリエーションに時間が とられてしまう。1項目ごとに完璧にしてから つぎの 項目に いくためには、「ん」で1単元、長音・促音・拗音・拗長音で、それぞれ1単元必要。 結局、ひらがなだけで、最低10時間は かかる計算になるが、その間、ほかの活動も 並行してしないと あきてしまうので、開講してから15時間目ぐらいまでは、ひらがなを 中心にした授業をすることになる。これ以上、はやく おしえると無理があるし、授業が 本当に ひらがなだけになってしまう。かといって、1時間にしめる ひらがなの授業の わりあいを これ以上へらせば、 おわる時期が のびて、かえって「いつまでも ひらがなばかりやっている」と おもわれかねない。

    2.三位一体をめざす練習         発音→字のよみ→単語のよみ→字形→絵と単語→かきとり

     ひらがな学習の目的は、音声と字形とをむすびつけることだが、それは、以後、単語や文を まなぶたびに、その単語や文において、両者が むすびつけられて記憶されるように していかなければ ならない。したがって、当面は、単語の提示は参考として あげるのに とどまるにしても、将来の 勉強のクセをつけるためには、提示された単語をオトで ききとり、それを文字で かきあらわす 練習が効果的だろう。そうでないと、上述の「仮想の音韻体系」において単語を記憶することに なりがちで、語の学習と発音の指導が きりはなされてしまう。

     その意味で、この段階では必須とは いえない単語が おおく ふくまれているとはいえ、かきとりの 練習をくりかえすことは必要であると かんがえる。

     順序としては、まず、まなぶ めあての発音が弁別できることをたしかめてから、文字を識別し、 それを発音することを練習する。つぎに、ひとつひとつの文字の発音が できたところで、 既習の文字をつかった単語の発音に うつる。こうして、単語のかたちで 音声が準備された ところで、はじめて かく練習に うつることで、音節ひとつだけで よみかきを対応させる方式を 意識的に排除している。かく練習は、まずは、字母の かたちをまぎれがなく かけるように しなければならないので、1「行」5字の発音・よみが おわるたびに 5字ずつ まとめて かかせているが、注意が文字ひとつひとつにだけに集中してしまわないように、1単元の字母 (15字)が ひととおり おわったら、単語単位での かきとりに うつる。そうすると、 単独では かけていた文字が、かならずしも かけなくなることに気づき、そこに努力すべき 課題が あることを自覚するだろうと期待しているのである。

     なお、単語の かきとりに はいるまえに、できるだけ単語の意味にも したしんでいるように、 絵に かけるものは、絵カードで練習し、そうでないものも、かきとりのときに、単語の訳を つけておく。ただし、ここでは あくまで 文字と発音の練習が主であるので、単語を完全に おぼえることまでは もとめない。特に、よくできる学習者は、かきとりのシートをあらかじめ わたしておくと、発音をききとらないで、自分で おぼえた語形の知識で 予習してきてしまったり、 こたえてしまったりすることがあるので、注意を要する。

    4 指導の留意点

    1.母音はいくつ?

     ハングルの入門書では、ふつう、母音字母の説明で、「基本母音」「合成母音」などという 概念が つかわれている。これは、ハングル成立のときには、音声学的な事実に対応していたの かもしれないが、現在の韓国語の音韻からみたら、音声としては意味のある区別ではない。ただ、 それをあらわす文字が、ひとつの構成要素であるか、ふたつ以上の合成であるかということだけの ちがいである。

     ところで、日本語では、ふつう、「や・ゆ・よ」の/y/と「わ」の/w/は子音として あつかわれるようである。しかし、これも、音声学的な事実からきているのではなく、 五十音図の形式上、そう みなすということに すぎない。

     日本語の母音が5つであると いうとき、その「母音」の定義を厳密に かんがえていないと、 こういう認識の ちがいから、おもわぬ誤解をまねきかねない。また、もし、うえのような伝統的な かんがえかたから はなれて、(複合母音でない)単純母音という概念が理解されるのなら、 日本語の5つに対して、韓国語が7つか、8つになるということが、理解のたすけになるし、 調音点をしめした表をみせても、参考になることだろうと おもう。

    2.か+き=?

     「か」の発音は「ka」、「き」の発音は「ki」と いえば、問題ない。それなのに、「かき」の 発音が「kaki」では いけないということを納得してもらうのは、すこし大変である。わたしは、 ついつい これを説明しようとして、演説をはじめてしまいがちなのだけれども、はじまったばかりの クラスで そんなことをするのは、どう かんがえてもスマートではない。

     英語をきちんと学習してきた学習者なら、韓国語のローマ字表記のことをひきあいにだすと、 理解してもらえる ばあいが あるけれども、いつでも通用する方法ではない。

     しかし、なかなか納得しない ひとでも、結論として「無声子音をともなう音節が語中・語末に あるときには、濃音の発音にしろ」と いえば、それだけは おぼえてくれるようである。ただ、 「kakki」では「かっき」に きこえてしまう。「kki」をできるだけ はやく いうように テンポを とって練習すると、じょうずになる。

     ついでにいうと、もし「かっき」を発音させたいときには、反対に「kki」をできるだけ おそく いうように テンポをとって練習すべきである。

    3.「ちゃ行」は なぜない?

     タ行は「た・ち・つ・て・と」だけれども、「ち」と「つ」の子音は、あきらかに ほかのものと ことなっている。

     とくに、ハングルで かきうつそうとすれば、「つ」は かきうつすこと自体が むずかしいにしても、「ち」は、まったく別の系列になる。発音の導入の際には、むしろ、いったん 「タ・ティ・トゥ・テ・ト」「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」の、ふたつの系列をしめして、 そのうち、単独の ひらがなで かかれるものを指摘する方式のほうが、誤解をまねかずに すむ。

     わたしは、つぎのような表をつかっている。

     これは、ハ行にも応用できる。この( )の なかの文字は、実際には提示しなくてもよい。 必要に応じて かけばいいと おもう。また、カタカナで かかれたものは、ふつう ひらがなでは あらわれない表記である。

    (ティ) (トゥ)
    (ちゃ) (ちゅ) (チェ) (ちょ)
    (ツァ) (ツィ) (ツェ) (ツォ)

    4.ひそひそばなしの練習

     母音の無声化の現象は、おおくの教材で、ふれられていないか、ふれられていても、 練習する必要はないと されているようである。しかし、自分が 発音できなくても、ききとる 必要はあるだろう。また、動詞の「きた(来た)」「した」などの発音は「きった」「しった」に なりやすく、それを解決する ひとつの方法が、まえの母音を無声化させることであると いえる。だから、はやい段階で、その訓練をしておくことは、決してムダにはならないと おもう。


     練習するときには、ひそひそばなしをするように指導している。そして、ひそひそばなしの ある部分だけを、ふつうの こえをだして いうようにしていき、最後には、単語のなかの 無声化する部分だけを ひそひそごえに するのである。


     提出順としては、タ行に はいったところで、「し・す・ち・つ」の無声化を単語のレベルで あつかうと よいのではないか。

    5.「ゆ」のハングル

     「あ・い・う・え・お」を指導するとき、「う」は、「u」より「eu」に ちかいと いっているので、当然、「ゆ」も、「yu」より「☆」に ちかいと いうべきである。 しかし、「☆」に はいるべきハングルが存在しないので、字を創作して「yeu」と かいてみせている。

    6.「ら・ら・ら」? 「ナ・ナ・ナ」?

     「ら・る・れ・ろ」と「な・ぬ・ね・の」は混同されやすい。  これは、韓国語話者にとって、 韓国語のなかでも「r」と「n」は、ききとりにくいことが あるようであるから、むずかしいと 感じるのは無理がないのかもしれない。  しかし、これらは、発音させると、ほぼ、完璧に発音しわける ことができる。なのに、ききとり、とくに単語単位の ききとりになると とたんに あやしくなるのは、 なぜだろうか。発音の しかたではなく、ききとりかたに ずれがあるのではないだろうか。

     日本の 歌謡曲に「ら・ら・ら」という うたがあり、韓国の最近の うたに「nanana」というのが ある。おなじように したを連続して うごかしているのに、「ら」と きこえるか「な」と きこえるかが わかれるのが おもしろい。

    7.フランス人になったつもりで

     韓国で でている初級の教科書には、ひらがなの表と簡単な発音の解説がついているのだが、 「ん」のところの解説は正確ではないものが めだつ。

     日本語の「ん」は、まわりのオトの環境によって(基本的には すぐ うしろのオトに したがって)さまざまな発音がされるが、韓国語話者は、そのちがいに敏感である。それは、 韓国語話者には そのちがいが容易に ききわけられるからであるのだけれども、かんじんの 日本語話者のほうは、通常、その ちがいに鈍感である。もっとも、鈍感だから、同じ「ん」だと 感じられるので、日本語を話しているときに、いちいち、「今の"ん"は"n"だ」 とか、「今の"ん"は"m"だ」とか かんがえていたら はなせなくなって しまうだろう。だから、そういう日本人が鈍感な部分にあまりにも神経をつかいすぎるのもどうかと おもうのだけれども、だからといって、まったく指導しないわけにもいかない。


     韓国で でている教科書が正確でないというのは、「ん」の あとに母音がくる ばあいだ。数年前の ある教科書には、これが「か・が行」のときと おなじ「ng」のオトだと かいてあった。それだと、「千円」が「宣言」に きこえてしまう。


     最近でた複数の教科書では、「ん」の あとに母音がくる ばあいは、「さ行」音がくるときと 同様に あつかわれている。[n:]が口蓋化した、めったに見ることのないような音声記号まで ついている本もあるが、あきらかな まちがいである。「n」と「ng」の中間のオトと かかれて いるけれども、結局のところ、「千円」が「宣言」ではなくて「千年」に きこえるだけのことだ。

     はやい発音のとき、うしろに「さ行」が つづくときの「ん」の発音が、うしろに母音が つづくときのようになるというのは、ほんとうである。しかし、その逆ではない。うしろに母音が つづくときは、よっぽどゆっくり、丁寧に発音しないかぎり、鼻母音になる。たとえ、鼻母音がうまく だせなくても、「千円」の発音は、「宣言」や「千年」より、よっぽど「声援」に近い。「原因」を 「げいいん」と かいたり(ワープロで)うったりした日本人は おおいはずだ。「本を」が「本の」に なってしまう人は、「頬を」のつもりで発音するのがいい。

     「ん」の うしろに後に「さ行」が続くときも、母音が続くときと同じになることがあると いうのは、「先生」が「セーセー」に ちかくなることがあるという意味なのである。


     そこで、やはり、この項目で一番のポイントは、母音のまえの「ん」の鼻母音の発音ということになる。 韓国語話者が得意な[n:][m:][ng:]の区別より、不得意な鼻母音のほうが正確に発音しないと日本語の なかで ほかのオトに きこえてしまうという意味で、大切である。これを練習するために、 つぎのような方法をためしてみている。

     まず、「あいうえお」をそのまま鼻母音でいってみる練習をする。これは、「ん」の発音をしている あいだ、母音がうごいていく様子をまねするのに、ちょうどいい。「あいうえお」を全部、鼻母音で いったら、たとえば、「う」だけ、鼻母音にしないでいう練習などをし、最後に母音のまえの「ん」だけ、 鼻母音に するように もっていく。フランス人になったつもりで、ハナにかけるといい。

    8.「トンガイルボ」「トガイルポ」「トンアイルボ」

     ハングルの「tonga」を発音すると、「トンガ」と きこえることがある。

     韓国語話者に いくらきいても、それは「トン・ア」であって、「ガ」というオトは でていないと主張するひとが ほとんどだけれども、現実に わたしの みみには「東亜日報」は 「トンガイルボ」と きこえる。

     逆にいうと、「tonga」をくっつけて発音すれば、日本語の「とが」に なり、パッチムの「ng」を すこし ながく発音すれば、日本語の「とんが」に なるはずである。また、「トンア」では、 「ん」が鼻母音に なるから、[:]のオトは でないのである。

     だから、このようにすれば、ガ行鼻濁音と 「ん」+ガ行鼻濁音 の発音は、だせるようにできる。 問題は、ききとりをするときに、そのオトから、「あ」のオトをききだしてしまう韓国語話者の ミミを、「が・ぎ・ぐ・げ・ご」で ひとつの まとまりだと認識する日本語話者のミミに かえて おくことが なかなか うまく いかないのである。クチは訓練できるが、ミミは 基本的に なれるまでまつしか方法がない。

     このような まとまりの認識をたすける もうひとつの要素が、拍感覚であることは容易に 想像できる。「とが」と「とんが」の区別の練習をくりかえすことで、拍に したがった まとまりの つけかたが 習得されれば、自然に

    [to a]も[to -a]ではなくて[to - a]

    と きけるように なると おもうのだけれども、どうだろうか。

    9.「つ」と「ざ・ず・ぜ・ぞ」は おなじ

     韓国語話者にとって「つ」の発音が むずかしいのは、その調音点と調音者の くみあわせを ふだん つかっていないからである。舌先をうえの ハに つけるようにすれば、 すこしの練習で「つ」のオトは だせるようになる。

    語頭の「ざ・ず・ぜ・ぞ」も、原理は おなじである。「つ」の子音を、まったく おなじ調音の しかたで 有声音に するだけである。

     ただし、語中の「ざ・ず・ぜ・ぞ」は、「さ・す・せ・そ」と おなじ調音の しかたを 有声音に したものになるから、そちらのほうは、「つ」よりも、「さ・す・せ・そ」をつかって、 それらを、おなじシタの位置で、こえをだしながら発音するように いったほうが ちかみちかもしれない。

    10.「トケー」ですか、「トケイ」ですか?

     エ列長音は「現代仮名遣い」の内閣告示では「おねえさん」のように

    と きめられており、

    などは、「付記」に

    と ある。


     現実には、どう かんがえても、「付記」に あたる語が大多数であり、「え」をそえるべき語は、 「告示」に あげられている「ねえさん」「ええ(応答の語)」以外に さがすのも困難である。


     しかし、この「告示」に したがい、前者を原則として紹介している教科書が、韓国では日本語の 入門書として出版されていることがある。日本語教育のタチバからは、有害無益だと いわざるを えない。


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